2007年02月27日

【第053章】

 X先生のスコッチはたちまち空になり、俺たちは肩を組んで文学部の門を出た。
 そのまま、諏訪通りを、つまり戸山公園に沿って西へ歩き、明治通りに出て左折し、新宿へ向かって南下した。
 途中、X先生に教わった英語の歌を、二人して大声で歌ったのだが、どんな歌だったか、もう忘れてしまった。
 大久保で、X先生いきつけだという台湾料理店へ入った。
 俺たちはフェンチューを飲んだ。
 フェンチューというのは、コーリャンを原料とした非常に強くクセのある酒だ。

 さて、俺の記憶は一度ここで途切れる。

 ダンスミュージック。
 薄暗いクラブ。
 外国人ばかり。
 ただし、焦げ茶色のジャケットを着たX先生が壁沿いの椅子に崩れかかり、あごを胸に埋め、その眼鏡が鼻にずり落ちていた記憶がある。
 スレンダーな金髪の女の子と踊った。
 割って入った碧い目の男と口論。
 大勢の外国人に取り囲まれる。
 黒い髪のラテン系の女が、俺を引っ張っていく。
 洗面所で、手のひらに掬った水を顔に叩きつけられる感覚。
 
 ここでまた、記憶が途切れる。

 早朝だった。
 気がついたのは大きな寺の門。その土台の張り出しに俺は座り込んでいた。
 あごを持ち上げられ、とがった爪で鼻をつままれた。
 見上げると、あのラテン女だった。
「メガサメタカ?」とラテン女は言った。
 女は光沢のある紫色のシャツに、黒いタイツを身につけ、先が反り返った魔女のようなブーツを履いていた。
 状況がまだ飲み込めなかった。
「FUCK、コトバニイウノハ、サイテイ。コロサレテ、モンクイエナイ」
「誰が?」
「ダレガ? アナタガイッタデショウ」
「ああ、あの銀色の髪の野郎か」
「ギン、ジャナイ」と、ラテン女はそれがすごく重要なことのように。「アレハ、シロ。シロイ、アタマデショウ。ギンジャナイ」
 カタカナ話は読みづらいな。
 その後に判った話も含めて、彼女の話を要約しよう。

 昨夜は、月に何度かそうするように、新宿2丁目のクラブで酒を飲み、踊っていた。
 そこに場違いな日本人の中年男と若者が泥酔して現れ、店のムードを壊した。
 中年は酔いつぶれ、若者はスウェーデン人のゲイと口喧嘩を始めた。
 場のムードが険悪になったので、自分はそれを納めた
 相手の男が、小男でアルビノのオカマでまだよかった。
 そうでもなければ、若者は叩きのめされて、それっきりだったろう。
 夜が明け、いよいよ店じまいの時刻になった。
 相変わらず酔ってフラフラしている若者を叱咤しながら、寺の前まで来た。

「Thank you for your kindness.」
「アー、アナタエイゴ、シャベル、ウマクナイ。ワタシノ、ニホンゴウマイ、アナタノエイゴヨリ。ワタシ、アナタノエイゴ、キキタクナイ」
 痛烈にそう言われ、しょげた。
「コーヒーでも飲もうか」
 頭が割れるようだった。若さゆえか、胃には来ていなかった。
 彼女の言葉はまるでカタカナなんだが、読みづらいので、この先は普通に書くことにしよう。
「この近くには、ありません。この時間にコーヒーを飲ませる店は」
「駅方面へ行けばいいんじゃないかな」
「私には予定がある。友達の家に泊まります。友達の家は、駅の方ではない。今は何時か。7時にはベルを押していい約束になっている。7時までには少し間がある。だからあと少し、私はここであなたと話していることができるのだ」
「電話番号、教えてくれない?」
「なぜ、私の電話番号を知りたいと思うのか?」
「いつかこのお礼をしようと思うから」
「では、教えましょう」
 彼女は大きなバッグから手帳を取り出し、その1ページを乱暴に引きちぎると、寺の門柱に押しつけて、名前と数字を書いた。
 俺はその綴りと、欧米人独特の読みづらい数字を、声に出して確認した。
 番号は、03から始まる都内のそれではなかった。
 
 彼女の名前はソフィア・ペドロス。

 ……仮名である。
 本当の名前はもっと美しいのだが、インターネットで検索できてしまうことがわかった。
 《N島》や《大野祥子》のモデル捜しに奔走している人がいるとも聞く。
 空しいことである。


 ローマからやってきて埼玉県の某市に住み、もう6年以上になる。
 ソフィアはイタリア国籍である。
 父親はスペイン系であるので、苗字がスペイン風である。
 彼女は実績のあるアーチストで、東京芸術大学に留学している。

 今思うと懐かしいが、少しもロマンチックな場面ではなかった。
 俺は、頭ごなしにガミガミ怒鳴られていたようなものだ。
 ラテンの女ったら……。

「あなたは見ることができる。この時計が、7時15分を指しているのを。しかし、実はいまは7時ちょうどなのである。なぜなら、私はいつも時計を進めておくからだ。なぜか。私は好まない。他人と同じ時刻を指している時計を、自分の腕にはめることを」
 俺にはそう言ったときの、彼女の語彙とイントネーションと少しおかしいニホンゴが、今も耳に浮かぶのだが、それをカタカナに移すのは、少々無理がある。
「わかった。あなたは行かなくてはいけないということだね」
「そうだ。私は行く。あなたは私に電話をするつもりであるか?」
「するよ」
「だとすると、今日と明日は、そのコールには誰も出ないだろう。なぜか。私が自分の家に戻るのは明後日だからだ。あなたが、私にお礼をしたいというのは本気であるか?」
「本気だよ」
「そうであれば、そのときの電話で約束をしよう。なぜか。私は思わないからだ。何を。あなたが約束を覚えていられるとは。なぜか。あなたはまだ酔っているからだ」
「わかったよ」
「では、また会いましょう」
 ソフィアは、さっと手を差し出し、俺はそれを握った。
 少しごわごわしていたが、細い骨組みの手だった。

 朝ぼらけの街でも信号はちゃんと仕事をしていて、点滅する青信号に、ソフィアは横断歩道を渡り、新宿御苑に沿って歩き出した。
 その時だ、俺が大事なことに気づいたのは。
 尻ポケットに入れていた札束がない。
 俺は、道路の向こう側に向かって大声で叫んだ。

「ソーフィアー!」
 外国人女性の名前をこんなに大声で叫んだのは、後にも先にも、いまのところ、それっきりだ。
 緊急事態にもかかわらず、俺は「なんだか映画みたいだな」と感じたことだった。まったく馬鹿である。
 ソフィアは振り返った。
 俺は車道の左右を確認すると、大きな通りを走って渡った。

「ねえ、俺の金を知らない?」
「金? 私がなぜあなたの金を知るか」
「昨夜、ポケットに入れていた金が、まるごとないんだ」
「私は知らない」
「そうか。困った」
「あのハウスは、最初に金を取る。だから、その時まで、あなたの金はあったことになる。どんなサイフをあなたは持っていたか」
「サイフじゃなくて、お金をクリップでとめただけのやつ」
「いくらだったか」
「15万円くらい」

 彼女は両手を広げ、頭を振りながら、天を仰いだ。
「あなたは賢くない。どうしたって、そのお金は、もう戻ってはこないだろう」
「だろうね」
「そしてあなたは、今いくらかのコインを持っているのか?」
 言われて、前ポケットをさぐると、十円玉などが数枚出てきた。
「これだけだ。電車にも乗れないや」
「あなたは私に金を貸してほしいか。そうならば、そう言うがよい」
「貸して欲しい」
「いくら必要なのか」
「電車賃だけなら五百円あれば足りるけど、タバコとコーヒーが欲しいので、千円貸して欲しい」
「わかった。あなたは、私へのお礼ととは別に、そのお金を返すであろう」

 ソフィアはふたたびバッグをまさぐり、大きなガマグチのようなサイフを出すと、そこから千円抜き出して俺に渡した。
「ありがとう。ちゃんと返すよ」
「ところであなたは、今すぐのタバコが欲しくないか?」
「とても欲しい」
「私はタバコを持っている。たった今のために一本与え、それに加えてマッチもひと箱与えよう」
 ソフィアのタバコは、俺が当時吸っていたのと同じ、セブンスターだった。
 俺はありがたく一本を受け取り、桜餅の匂いのする側面を嗅いだ。
 もらったマッチで火をつけ、濃い煙を吸い込んだ。

「ありがとう。生き返った。君も吸わない?」
「私はあなたが目覚める前に、お寺で一本吸ったから、今は吸いたくない。それに、友人の家に急ぎたい。私は疲れていて眠りたいのに、あなたがそれを引き止めたのだ」
「悪かったよ。とにかくありがとう」
「どういたしまして。しかし、あなたが私にするお礼は、かなり先になるだろう。なぜか。15万円は、少なくないお金だと私は思うからだ」
「でも電話はするよ」
「その電話で、親しい話をしましょう」

 ソフィアは、きびすを返し、歩き出した。
 その背中に、俺はもう一度、声をかけなくちゃならない用事を思い出した。
「ソフィア!」
 うんざりした様子で振り返る。

「俺と一緒にいた、茶色の服着た眼鏡のおじさんがどうしたか知らないか?」
「私がなぜあなたのボーイフレンドのことを知るか」

 言い残して、ソフィアは行ってしまった。
 俺は笑いだし、タバコの煙にむせて咳き込んだ。
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2007年02月26日

【第052章】

 寮に戻り、思いがけず楽しく安逸な暮らしをしているうちに、困ったことが二つあった。
 ひとつは、大学の単位であり、もうひとつは目の前の金銭の問題だ。
 親からも仕送りを受け、奨学金をもらいながら、何が不足だったかと思うのだが、思えば平気でタクシーを乗り回し、連夜酒を飲み、タバコを吸い、そしてしばしば、安くない服を買っていた。
 今思うと、馬鹿な話である。

 ある人に、
「そりゃあ誰でもそうだろう」と言われたのだが、俺は、預金はともかく、財布の中に金があると、明るくなれる。
 寛大になり気前よくなり、かつ慎重になり、倹約すらできる。
 ただ、目の前に、懐に金が乏しくなると、俺はうろたえ、セコくなり、猜疑心と嫉妬にさいなまれ、あげくに浪費をしてしまう。
 あの日々、いくらがマネークリップに挟まっていたのか、今では思い出すよしもないが、俺は《ひびき》へ行くことにした。

 《インターフェース》の時代から、当時は月々の賃金を14〜15万、現金入りの封筒でもらっていた。
 勢いで《ひびき》を飛び出したものの、その月の分、概算で7、8万円は、もらう権利があると見積もっていた。
 《ひびき》の経理や総務が、どこにどのようにあったのか、記憶がない。
 俺が向かったのは、社長室だった。

 どんな礼儀といいわけをしたんだったか、記憶にない。
 とにかく、もらうべき給料をもらいに来たとO村社長に告げた。
 O村社長は、内線で一報し、あっという間に、俺の給料袋が届けられた。
 きちんとした会社だったということだ。
 O村社長は、俺の辞意を泰成さんからすでに聞いていたためだろう、厄介者を追い払うような調子だった。
 俺は、泰成さんに言われた言葉を実践した。
「こう言うのはなんなんですが……」
「なんだ?」
「僕がお休みをいただいている間に、賞与が出たそうで……」
「なんだと?」
「僕も契約社員ではありましたが、査定期間に入っていると思うんですが」
「おまえなー」
 O村社長の顔は紅潮し、俺もまた身が縮み上がった。
 O村社長はしばし俺をにらみつけた後、玉虫色を帯びたグレーのスーツの内ポケットに手を入れ、財布を取り出した。
 親指を舐め、素早く札を繰り、5万円を取り出して、俺に差し出した。
 蝙蝠安よろしく、それを押し頂く俺。
 みじめに感じないわけではなかったが、旅の恥はかきすて、のような気分だった。
 俺は《インターフェース》の部屋に立ち寄ることもなく、足早に《ひびき印刷》を後にした。

 15万円ほどの札を二つ折りにすると、けっこうな厚みになる。
 尻ポケットのその厚みは、つまりは俺の安心感だった。
 この界隈に来ることももうなかろうと思い、俺は馴染みだった定食屋で、定番メニューだった牡蠣のてんぷら定食を注文し豚汁を追加した。
 さよなら、水道橋……とつぶやきながら、新目白通りを本部キャンパスに向かって歩いた。
 
 大隈翁像前の図書館に入ったんだったと覚えている。
 ぬくぬくと暖かかった。
 文学部の図書館とは蔵書が違っているうえ、システムはカード式だったと記憶している。
 何の本を手に取ることもなく、空いた椅子にもたれこんで、食後の居眠りをした。
 
 まどろみから醒めると、汗ばんでいて悪寒がした。
 目の前の景色に現実感がなかった。
 もっと馴染みの場所に近づこうと、文学部への坂を上った。
 15時を回ったころだと思う。
 掲示板のそばをうろついていれば、祥子と出会えるだろうと思った。
 会ったら、コーヒーを飲みに誘い、何か少しリッチな夕食に誘ってもいい。

 果たして、祥子は現れた。
 思いがけないところで俺を発見し、うろたえたような表情が走った。
「何してるの?」
「君を待ってたのさ」

 俺はコーヒーに誘ったが、彼女は外せない授業があるという。
 聞くと「神仏混淆美術」のある授業で、俺はとっくに棄てていた単位だ。
 90分後に再会することを約束して、俺は校舎の中をさまよった。
 廊下をふらふらあるいているある教授と出くわした。
 なぜゆえふらふらしているかというと、この先生、昼間からいつも酔っているのだ。
 俺が受けた授業は、イギリスの旧い詩人ジョン・ダンとその時代に関する教科書だった。
 授業の内容は、ダンの詩の分析などではなく、その当時の英国の野蛮な風俗について、あたかも見てきたように語るという一風変わったやつで、その合間合間に、古語が多くてかつ難解なダンの詩を詠唱するのだ。
 教室はいつも酒臭く、学生たちの評判はあまりよくないようだったが、俺はこの先生の授業が好きだった。
 先生自身が酔いどれ詩人だった。
 *先生の著作は未だに大事に保管している。その名前を検索してみると、思いのほか多くの本を出版されていることがわかった。どれもロンドンとかワイセツとかポルノとか盗賊とかがキーワードになっている。
 俺は前年にその教授の単位を取得していたので、その年はお世話になってはいなかったんだが、ふとその先生(X先生と呼ぼう)の授業に出てみようかと思った。

「先生、これから教室ですか?」
 先生は、脂で汚く曇った分厚い眼鏡を押し上げると、俺の顔をじーっと覗き込んだ。
「ああ、キミか」
「覚えてらっしゃいますか?」
「ウン。優秀な学生のことは忘れない」
 酔った上での言葉、俺の名前を覚えていたはずはないと思うが、《優秀》というのはあながち嘘ではなかった。
 が、冗談のような話である。
 俺がかつて取得した先生の単位は、その著作を読んで感想をまとめるというやつだったんだが、俺はよい成績をもらい、じきじきにハガキまでいただいていたのだ。
 なぜハガキが来たかと言えば、それは俺がレポートの期限に間に合わず、あるいは投稿するのが面倒だったので、溢れんばかりの賛辞に満ちたレポートを、著作の奥付にある先生の自宅に直接送りつけたためだ。
 めろめろの文字で書かれたそのハガキは、今も手紙箱の中にある。
 内容は、ほぼ以下の通り。

 とても優秀な論文。さらなる勉学と研究を期待します。貴君トリプルA約束。
 自宅そば駐車場の誰かの汚い車の屋根にて記 X・M


「久しぶりに先生の講義に出てみます」
 X先生は壁に手をついて「ウーム」と言ったかと思うと俺の腕を取り、来た道を引き返した。
「やめだやめだ。やっとられん」
 先生は危なっかしい足取りで階段を上り、研究室に俺を招き入れた。
 青い線の入った湯飲みを2つ取り出すと、見たことのない銘柄のスコッチウイスキーを取り出して、なみなみと注いだ。
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2007年02月25日

【第051章】

 このころの思い出で、忘れられないことがひとつある。

 以前、祥子を寮の中に忍び込ませる時の基地として使った《ビーンズ》という喫茶店。
 その店は、俺が東京で暮らすようになって初めて一人で入った喫茶店だった。
 ずいぶん古風な、むしろ埃くさいほどの店で、何もかもが褐色だった。
 カウンターの上のかごに、果物が盛りつけられていた。
 俺は触るともなく、その果物に触った。するとそのかごの下から、大きなゴキブリが這いだし、カウンターを横切ったかと思うと壁をつたって、どこへともなく消えた。
 俺は何か悲鳴のようなものをあげたんだろう。
「アハハ」と笑ったのは、カウンターの中の女の子だった。「それは、ホンモノよ」
「違うよ、果物のことじゃない。今、でかい虫が」
「ああ、ゴキブリね。ごめんなさい。店が旧いからたくさんいるのよ」
 彼女の言葉には、かなり風変わりな訛りがあった。最初、中国人かと思った。
 ネルで丁寧に漉したコーヒーを出してくれながら、
「ゴキブリを見たことがないの?」
「はじめて見た。俺、北海道だから」
「あら、あたしと逆。あたしは沖縄」
 それが、千里(ちさと)ちゃんとの最初の出会いだった。
 千里は、沖縄の宮古という島の出身だった。
 中学卒業と同時に、二人の友人とともに、いわば集団就職をしてきて、今は共同生活をしているという。
 一人は同じく《ビーンズ》に勤めているそうだが、もう一人は羽田のある工場に勤めているのだとか。
 睫毛が濃く、彫りの深い顔立ちをした、綺麗な子だった。
 今、この歳になってみると、彼女の清楚で若々しい美しさは、もっとまぶしく感じるような気がする。
 そのときの俺の印象は、明るい田舎出の娘というものだった。
 
 寮での同級の友達は大勢いて、一人一人を紹介していてはそれこそ青春群像になってしまう。
 ただ、ここでは南村武(みなみむら・たける)を紹介しなくてはならない。
 南村は、俺よりも年少だった。
 つまり、現役で東大理学部(番号はよく覚えていない)に入学した秀才だった。
 俺がつけたあだ名は《ウーパー》。両目が離れていて、低い鼻に大きな口が、ウーパールーパーにそっくりだったのだ。
 京都の仏教系進学校出身で、最初こそ変な標準語を話していたが、やがて、京都の言葉で喋り出すようになると、親密度が深まった。
 夜中にドテラ姿でサンダルの音も高らかにやってきては、
「なあ、松屋いかへん?」と、いちばん多く声をかけてきたのはこいつだ。
 愛嬌のある憎めないキャラクターで、気前もよかった。
 京都の人はしばしばパリジャンになぞらえられ、合理的でシブチンのような言い方をされるが、俺の知る限り、京都出身の友人は一様によく気がつき、きっぷがいい。
 ただ、こちらは悪く言えば大雑把な北海道人のこと、そのもてなしや気遣いに甘んじ続けていると、いつの日か、
「あんた、ほんまに気がきかへんなあ」と愛想を尽かされることになる。
 
 話をもとに戻そう。
 まだ、南村がヘンな標準語を脱ぎ去ろうとしていたある日のことだ。
「駅の向こうの西友に大きな本屋があるけど、いかへん?」と誘われた。
「いいねえ。けどその前に、イブニングコーヒーを飲もうぜ」
「ええよ」
 俺にはそのときちょっとしたイタズラ心があった。
 《ビーンズ》の千里ちゃんが、いかにも南村の好みにぴったりと踏んでいたのだ。

 俺はそれまでに数回、すでにビーンズには通っていたので、いつものように入り、奥のカウンターについた。
 くっついてきた南村の顔を見て、俺は吹き出しそうになった。
 南村の目が、まるでハートのようになっていたからだ。
 それはあまりに大げさで、リアリティにかけるな……。実際のところ、頬が真っ赤になり、口が半開きだった。
 何事もすぐ、顔に出てしまうやつなのである。
 俺と千里が気軽に話す様子を見ながら、南村は覚えたてのタバコを、むやみに吹かすばかりだった。
「あ、千里ちゃん、こいつ寮の仲間のタケル。よろしくね」
「あ、あ、み、み、南村ですぅ」

 やがて、千里と一緒に勤めているという、カナエという子が入ってきた。
 どういうシフトだったか今では覚えているはずもないが、そうやって入れ替わり立ち替わり、あるいは同時に、カウンターを仕切っていたのだ。
 カナエは言葉数も少なく、目つきも鋭く、千里ほど人なつっこくはなかったが、これも綺麗な子だった。

 ビーンズを出ると同時に、南村は決して演技でもなく、へなへなと電信柱にもたれ、
「あかん。オレ、あかんわ」と、うなされたように言ったのだ。
「一目惚れかよ」
「理想や。オレの理想のコやった」
「そっかそっか。千里ちゃんは彼氏なしだぞ」
「ほんま? あかんて、それ」
「なんで、あかんの? ええやん」
「あかんて……」
 南村は泣き笑いのような顔を俺に向けた。
「さて、本屋行くか」
「ちょっと待った。本屋いう気分やないわ。飲みにいこ。ええやろ」
 そして、駅の向こうの書店は、ナシになった。
 
 その頃、俺たちがよく行く店と言えば、駅の向こう側の「のんき茶屋」という居酒屋だった。
 注文を頼むたびに「ハイッ、モズク酢、ヨロコンデー!」というようないせいのいい店だ。
 ここでの料金は、どんなに飲み食いしても、一人3千円くらいのものだったと思う。
 決して安くて粗悪な店ではなかった。
 それゆえ、ここでの飲食は手形のような役割を果たしていた。つまり、
「すまん、レポート手伝って〜。のんき1回」ってなものだ。
 この日は、南村から俺へ「のんき1回付き合って〜」というわけだ。
 
 ここには、コヅエという女の子が働いていた。
 背は小さくガリガリに痩せていて、出っ歯の子だった。
 しかし、なんとも言えない愛想の良さがあって、くるくるとよく働いた。
 寮の先輩たちの中には、まるで下女にでも命令するみたいに、
「おい、コヅエ! 冷酒まだかよ!」とあからさまに威張り散らす者もいた。
 コヅエはいやな顔ひとつ見せるでもなく、
「はい〜、ただいま〜、ヨロコンデー」と働いていた。
 なんというか、酔客の潜在的なサディスティック願望を満たすために存在しているといったふうで、少し痛々しかった。
「おまえ、時給いくらなんだ?」とずけずけ訊く先輩もいれば、
「ほんとボケてんな〜、オマエ」などと言う同輩もいた。
 そういう宴会で、心の優しい南村はいつも気を痛め、翌日になるとたいてい、
「なあ、コヅエの様子、見にいかへん? オレ、おごるし」
 などと気遣いを見せていた。
 俺はそんな南村の行動に、ちょっと高所から見下ろしているような、かつ潜在的な恋愛感情を感じていたのだったが。
 その日の南村は、コヅエのお愛想に少しも反応しないばかりか、まるでタマシイでも抜かれたかのように、生ビールをあおるのだった。
「タケルさん、元気ないんじゃないですか〜?」とコヅエ。
「うるさい。ほっといてえな」と、珍しく声を荒げる南村。

 ビーンズのマッチでタバコに火をつけたとき、あるイタズラ心が湧いた。
「南村よ〜、千里ちゃんに会いたいか?」
「会いたいわ〜。そら、会いたいわ〜。こんな気持ち、初めてや」
「今、会いたいか?」
「会いたいけど、また行ったら、アホみたいやんか」
「そうじゃないよ」
 言い残して、俺は座布団から立ち上がり、レジの脇の電話に向かった。
 一か八かだったが、マッチに刷られた電話番号を回した。
 カナエが出たと記憶している。
「千里ちゃんは、まだ帰ってない?」
 俺は、レジ上の時計を見た。21時直前。いるという確信があった。
「いますよ。替わります」

 俺は、いま駅の裏の居酒屋で南村と飲んでいることを伝え、来ないかと誘った。
「行っていいなら。行きたいです」
「カナエちゃんは?」
「カナエは、あと1時間半あるので」
「じゃあ、あとで合流するといいさ」俺は要領よく場所を伝え、万が一のためにと《のんき茶屋》の電話番号をメモさせた。「すぐに来れる?」
「もう、出るところだったので、すぐ行けますよ」
「じゃあ、二人で楽しみに待ってるから」

 10分もしないうちに現れた千里を見たときの南村の驚きと喜びといったら、いま思い出してもこっちが嬉しくなるようなものだった。
「はよせいや!」などと、普段はねぎらっていたはずのコヅエをせかし、生ビールを取り寄せるのももどかしく、南村は興奮していた。
 千里は緊張気味だった。
「東大って、なんか雲の上の人みたいよ」そういう千里は、今思うと16歳だ。
「そんなことないで。ほら、ここにおるで」

 やがて、カナエも合流し、彼女らの緊張も解けだした。
 ま、プチ合コンというわけだな。
 いろんな話をしたが、こんなエピソードを覚えている。
 俺が言った。
「今、オレ、歌を作っていてさ」
「え? 作曲家なんですか?」
「いやいや、そんなんじゃないけどさ。その中で、ある歌詞があるんだけど、それって、君らの言葉で言うと、違うんだろうな」
「どんな歌詞?」
「『へんな顔のオヤジが僕のところへ寄ってきた』って言うんだけど」
 彼女らは、そんな面白くもない話題にコロコロと笑った後、教えてくれた。
「ピンナカマスノヤガドゥ、ワガトゥクマン、ユッチッチ」
 なるほど……。
 こういう記憶というのは、案外消えないものだ。

*間違っていたら教えて下さい>沖縄の人。

 戸越銀座のそばにあるという彼女らのアパートに門限はないが、工場で勤めている友人が心配するかもしれない、と彼女たちは言い出した。
「その子も呼べばいいのに」と俺。
「そや。タクシー代なら、オレが払うし」と、太っ腹な南村。
「でも、連絡がとれないから……」
 携帯電話どころか、彼女ら三人の所帯には、電話回線のひとつすらなかったのだ。

 名残惜しかったが、お開きにした。

 帰り道、南村は、
「おおきに。おおきにな」と繰り返した。

 俺たちは《ビーンズ》にさえ行けば千里にもカナエにも会えたし、彼女らのシフトに併せて、そんな飲み会を繰り返した。
 しかし、南村は《告白》をしたわけではないし、その4人の関係に、何かの変化があったわけでもなかった。
 行く店もいつも《のんき茶屋》と決まっており、話題もたわいないものだった。
 
 こんな話も覚えている。

「台風は、楽しいものよ」と千里が言った。
「えー? 恐ろしいものじゃないのかい?」
「瓦は飛ぶし、木も折れるけど、来るのがわかると家族で準備をするのよ」
 おとうさんは窓を板で打ちつけ、食料を備蓄し、家の中に籠もる。
 おとうさんたちは昼間から泡盛をやり、子供たちはトランプやゲームに興じる。
 電気が切れるともっと楽しい。
 ローソクの火をたよりに、昼も夜もなく、飲めや歌えで遊ぶというのだ。
 なんだか、ほんとに楽しそうな話だった。
「いつか行ってみたいな、宮古島に」
「いいところよ」

 そんな話をしていたのは、N島や祥子と八丈島へ行く、ちょうど一年前くらいではなかったろうか。

 さて、俺はまた、この話の時間軸を大きくねじってしまったわけだが、話は、祥子の家から大森に戻った日々に戻る。
 俺は、めずらしく自分から南村の部屋を訪ねたんだった。
「ひさしぶりだなあ」
「ひやしぶりやね」
「《ビーンズ》行ってる?」
「行ってへんよ」
「なんで?」
「あのコら、やめてもうたわ」
「で、どこにいるの?」
「わからへん」
「わからん、って……店長に訊けばいいじゃん」
 ごくたまに、夜遅く集金に顔を出す男がいたのだ。
 彼女らは《店長》と呼んでいたが、コーヒーを出すような仕事をしているのは見たことがない。
「何も教えてくれへんねん」
「今から行こうぜ」
「行ってもムダやと思うで」

 《ビーンズ》は、閉店していた。
 千里とカナエの消息はそこで途切れたわけだが、後日、意外な再会を果たすことになる。
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2007年02月24日

【第050章】

 そして俺はそれっきり《ひびき印刷》を辞めた。
 辞表を出したわけでもなければ、きちんと挨拶をしたわけでもない。
 そのまま事務所を出て、戻らなかった。
 何冊かの本などを除けば私物もなかったし、いつかはこうなるような予感がしていた。

 その日の足取りは記憶にないが、高円寺に帰ったことだけは覚えている。
 家庭を持った男が長年勤めた職場を辞めたわけでもなし、少々長いこと続けていたアルバイト(実際にはそのとき「契約社員」という身分だった)を、勝手に逃げ出しただけだから、祥子にも、特に何を伝えたわけでもなかった。

 数日間、彼女の部屋に籠もっていた。
 祥子は、昼間はレッスンや撮影に出かけていくことが多かった。

「今日は学校へは行かないの?」
「たぶん行かないな」
 そんなやりとりがあった。
「じゃあ、どこへも行かないんじゃない」
「ああ、そうだな」

 その頃、祥子の部屋にいくらかの着替えはあったにせよ、俺はそれ以外、祥子の水やガスを使って入浴し、彼女の電気で本を読んでいたことになる。
 本と言えば、祥子の部屋から抜け出すきっかけになったのが、その「本」だった。
 彼女の書棚はもともと貧相なものだったが、俺の知的好奇心を惹くようなものはほとんどなかった。
 近所を探せば少しはまともな書店もあったのかもしれないが、その当時ですら俺は近辺の地理には暗く、あまり出歩きたくなかった。
 タバコを買いに行くときくらいは、最短距離を出歩いただけだ。
 俺は自分の書棚の本たち、あるいは大森西友の中にあったブックセンターが恋しくなり、ある日、祥子の部屋を出た。

 寮に戻ると、たくさんの電話記録があった。
 N島やその他の友人から何通か、他はほとんどが泰成さんからのものだった。
 泰成さんには、高円寺のことは話していなかったので、俺の帰る先と言えば大森だと思ったのも無理はない。
 驚いたのは、部屋に戻ったときだ。
 ドアに、折りたたまれた紙が挟まっていた。
 開くと、泰成さんからの手紙だった。
 寮の電話記録簿の紙を使って書かれていた。ということは、玄関の受付カウンターの上で書いたものかもしれない。
 
 高木君
 君が出ていってしまって、その後なんの音沙汰もないので、一同心配している。
 寮にも戻っていないようだとのことで、なおさら心配になり、一度様子を知ろうと、こうして大森まで来てみたが会えなかった。
 君のことだからたくましく元気でやっていることとは思うが、やはり心配だ。
 寮生の方にこれを託すので、一読したら、ぜひとも一報、電話だけでもいただけると安心する。

 P.S. 寺坂先生には、あの後、僕からも厳しく申し上げた。その後はお見えになっていない。蛇足かも知れないが。
 
  泰成


 俺は娯楽室に降りていって、ピンク電話から会社に電話をかけた。
 泰成さんが出て、心から安心したという声を出した。

「よもやそんなことはないと思ったけど、もしもの場合を心配したんだぞ」
「申し訳ありません」
「で、どうするんだ?」
「はい。ケジメがなくて、申し訳ありませんでしたが、やっぱり……」
「やっぱり?」
「辞めさせていただきたいと思います」
「そうか。残念だけど仕方ないな」
 慰留の言葉はなかったが、泰成さんを落胆させたのはわかった。
「すみません」
「O村さんには、僕から話しておく。でもとにかく、一度は会社に顔を出せよ。すぐにではなくてもいいから」
「はい。そうしなければいけませんね」
「だって君、もらうものもらってないだろう?」賃金のことだ。「こんなことは僕の口から言いたくないが、今誰もいないから言おう。ちょうど君が居なくなったタイミングで、ささやかなボーナスが出たよ。O村さんに挨拶するとき、そのことも言うといいと思うよ」
 細かい気配りに感謝しながら電話を切った。

 俺はそれからの数日、寮生たちと久々の時を過ごした。
 駅裏の居酒屋にも行ったし、深夜の牛丼も食った。
 キネカで映画を観たし、読書にも浸りきった。
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2007年02月23日

【第049章】

 さて、そんなあるとき、なんの素材だったか、あるポジが回ってきた。
 俺のスキャン指導役だった中野さんが、
「このポジひどいなあ。真っ赤っかだ……。ねえ安岡さん、これそっちで直せる?」と、ハイデルを振り返った。
 安岡さんは、席を立って見に来るでもなく、
「ああ、そっちで補正して!」と言った。
 中野さんは、ちょっとばかり口をへの字にしたが、思い直したように、俺に向かって言ったんだった。
「いままではなりゆきスキャンだったけどさ、ちょっと新しいこと教えるね。こういう真っ赤っかな原稿とかは、スキャンするときに補正が出来るんだよ」
「はぁ……」
 それから中野さんは、テーブルに向かって俺に椅子を勧め、紙に図を描きながら、 CMYK(インクの4要素)とRGB(モニタで見る光の3要素)の違いを、丁寧に説明してくれたのだった。
 俺は「やばいことになったなあ」と思った。
 もとより、4色のインクの理屈も、光の3要素なんてものも判っている。
 しかし俺には、そのポジが真っ赤っかという意味が実感できなかったのだ。

 そう。
 俺の友達ならすでに知ってくれている通り、俺には色覚異常があるからだ。
 それゆえ、これまで営業部の連中が、色校を手にやってきては、
「このアカ浮きは、工場じゃどうにもならないっつうんですよ」
「え〜、そんなはずないよ〜」
 などというやりとりをしているのを見ても、感覚としてぜんぜん判らなかった。

「中野さん……ちょっとすいません」と俺は言った。
「なに?」と、中野さんはやさしい。
「いくら説明きいても、オレ、駄目なんですよ」
「あ……ボクの説明、わからない?」
「そうじゃなくて。オレ……色弱なんです」
「え!?」
 中野さんは、椅子から飛び上がらんばかりに驚いた。
 まるで俺が「実はオレ、ゾンビなんですよ」と告白したかのように、さ。

 嘘みたいな話なんだが、中野さんは俺を置き去りにして、コンピューター室を飛び出して行った。
 俺は、机に向かったまま、中野さんの描いていた光の3要素の集合図を眺めていたさ。

 やがて内線電話が鳴った。
 出ると、O村社長だった。
「社長室に上がってきて」

 社長室をノックし、入った。
 泰成さんが、すでにソファに腰掛け、タバコをくゆらしていた。
「まあ座れ」とO村社長に言われて、座った。
 O村社長は、手許の書類にポンとハンコを押してから立ち上がり、デスクを回ってやってくると、俺の正面に腰掛けた。

「そういうことは、早く言ってくれよな」とO村社長は言った。
「すみませんでした」と俺は詫びた。
「製版部だぞ、なにしろ、さあ」とO村社長は言った。
 不覚だが、涙が浮かんで来た。
 止めようと思うのだが止まらない。
 泰成さんがハンカチを出してくれた。 

 悔しいんだかなんだかわからない。
 医師や薬剤師やパイロットをはじめとして、色覚に異常があると就けない仕事はある。
 これは大相撲の力士になるため、身長に基準があるのと同じことだと思っていた。
 製版部に配属されたときに自分に色覚異常があるのを思い出し、申告するのは俺の責任だったんだろうか?
 今も判らない。

 その後、O村社長と泰成さんの間で、何かやりとりがあったが、細かくは覚えていない。
 俺を元の職場に戻すということで意見の一致を見たのだろうと思う。
 覚えているのは、泰成さんに背中を抱かれるように社長室を後にしたことだけだ。

 久しぶりに《インターフェース》のスペースに戻った。
 デザイナーと智恵子が、俺から目をそむけるようにしたので「あれ?」と思った。

 俺がいつも使っていたパソコン前の椅子に、寺坂先生が、ちょこなんと座っていた。
 センセイ、俺を見てなんて言ったと思う?

「おう、戻ってきたか障害者。ひっひっひ」

 先刻の、よく判らない悲しみが、白い感情で上塗りされた。
 WHITE FURY……?
 白色の激怒? 
 
 白色だけは、色覚にどんな異常があっても、よく判るのさ。
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2007年02月22日

【第048章】

 この章、判る人なら、膝を叩いて「もっともっと」と言うほど面白い部分があるかもしれないが、そうでない人には少々退屈になるかもしれない。
 というのも、印刷屋さんにおける、ちょっとばかり技術的な、しかも旧い話が多いからだ。

 けれど、これに続く次の章で、俺にとっては非常に重要な内容があることを、あらかじめ言っておきたいと思う。

====================


 異動があった。
 具体的に言えば、俺は《インターフェース》の時給制のアルバイトの身分から、《ひびき印刷》の契約社員という立場へ転属させられることになった。
 ただし学業があるので、基本的に勤務は朝9時から15時まで。《インターフェース》でのパソコン作業も、状況に応じては兼任するという、よく判らない沙汰だった。
 報酬に関しては、そう変わった記憶はない。
 
 俺は「製版部」というところに回された。
 つまり、印刷の原版を作る部署だ。
 原稿となるものを、特殊なカメラでCMYK(シアン・マゼンタ・イエロー・ブラックという、印刷インクの4原色)に分版し、そうして撮影されたフィルムを貼り合わせる。これが基本だ。
 製版部は大きく3つに分かれていた。
 前述の各色フィルムを緻密に貼り合わせ、場合によっては人物だけを切り抜いたり、オペークという塗料でフィルムのゴミを補正したり、数百分の1ミリの単位で各版の位置を整える、いわば職人芸の部署。
 そして、ネガやポジのフィルム原稿をスキャンし、それをコンピュータで加工する、いわばデジタルの部署だ。
 さらに、写植部がそれに加わった。
 今で言う《フォント》は、すべての文字が一枚のガラスに焼き付けられた貴重な原版であって、写植職人は暗室の中で、特殊な機械を使ってそれをフィルムに焼き付けた。文字の大きさはもちろん、平たくしたり縦長にしたり傾けたり間隔を詰めたり……それらの作業をいかに速く正確にこなすかが、職人の腕とされた。当時、写植職人はなんとなく風来坊のように思われ、腕を頼りに多くの印刷所を渡り歩くことが多かった。今は、特殊な場合を除き、ほとんど絶滅している職種ではないだろうか。

 俺が配属されたのはその2番目、デジタルの部門だった。
 社長O氏のおもわくでは、《コンピューターに詳しい》俺を、その部署で鍛えようとしていたのかもしれない。
 事実、その当時よく言われていたのは「電算写植」という言葉だった。

 今でも「誤植」という言葉は一般に使われる。いわゆる、文字の打ち間違いだ。
 ほとんどすべてのテキストがデジタルデータで入稿されるこんにち、誤植の責任はほぼ90パーセント筆者の責任だ。
 残りの10%はそれを見落とした編集者の責任となる(ま、この責任の比率には異論があろうが)。
 ところが当時、手書き原稿を「写植職人」が手書き原稿を猛烈な速さで打ち込む場合には、誤植の責任は主に「写植職人」の責任であった。
 ちなみに写植職人は、今われわれがキーボードを叩くように文字を打ち込むわけではない。
 大きなテーブルを想像してみてほしい。写植職人は、その上にまず指定の字体の原版を乗せる。
 原版には、すべての文字が、あらかじめ焼き付けられている。これは高価なものだったろう。
 原版の乗った台は、職人が操作するハンドルで、実に軽やかに縦横に動く。
 職人は、その原版のどこに何の文字があるかを熟知しているのだ。
 彼らはハンドルを素早く操作し、該当の文字を探し当てては、スイッチを押して露光し、文字はフィルムに光学的に焼き付けられる。
 今となっては少々信じがたい手順で、印刷物の文字は組まれていたのである。
 さて、当時とて、ワープロは普及し、フロッピーディスクも一般化しつつあった。
 著者によっては原稿を、いわゆるデジタルのデキストデータで納めたい場合もあったろう。
 しかしたいていの場合、印刷所はそれに対応していなかった。
 どうするか。
 「ワープロ派」の著者が書いた原稿は、一度プリントアウトされて後、写植職人の手に渡り、打ち直されるのが当たり前だった。
 とうぜんこんな非合理な話はない。
 せっかくのテキストデータが、そのまま印刷物にならないなどとは、今では信じられない話なのだが……。
 
 ところが、俺が仕事をしていたインターフェース社……言い換えると「欧文」の世界では、それはすでに当たり前のことになっていた。
 翻訳者が送ってきた生のテキストデータを、例のDTPソフト・Venturaに流し込み、自由自在にフォントを変える。
 もし誤植があれば、それは翻訳者のタイプミスである。
 O村社長は、さすがそこに着目したのだろう。

 とはいえ、これはO村社長の先見の明でもなんでもなく、大手出版社などでは常識になりつつある技術であり、設備であった。
 作家の原稿は原稿用紙に手書きされてくるものの、それを腕利きの「オペレーター」が、キーボードを使ってテキストデータにする。
 そうなってしまえばあとは、2段組にしようが、文庫版にしようが、自由自在というわけだ。
 長々と書いてきたが、これを「電算写植」、略して「デンサン」と言ったものである。

 さて、当時の《ひびき印刷》には、その電算写植機を納入しようとして、3社ほどの営業スタッフが、1日と空けず通ってきていた。
 どの会社も、こんにちでも誰もが知っている、大手商社である。
 「デンサン」は、当時、3千万円以上する大きな設備投資だった。
 O村社長にしても、クラウンをベンツに買い換えるのとは少々心構えが違ってくる。
 
 俺は幾人かの営業マンとともに、連日のようにあちこち引き回された。
 それは商社の会議室であり、すでに機械を導入した印刷所であり、見本市の会場であり、メーカーの事務所であり、フランス料理のレストランであり、料亭だった。
 各商社のディーラーたちは、言葉を尽くして、自社の商品をアピールした。
 ところが当時、国産のデンサンマシンは、ないに等しい状態だったんだな。
 どれもが、主にドイツの機械をカスタムして、日本語のフォントを載せたものだったと記憶している。
 印字サンプルをみると、それはそれは惨めなものだった。
 信じられないほど醜いフォントが、スカスカに打たれている。
 《デンサン》は、当時まだ隆盛だった写植へのアンチテーゼだったわけで、多くのデンサンマシンのメーカーは、美しい文字の開発まで手が回らなかったというわけだ。

「タカギよ、どうだ、これ?」と、O村社長が俺に訊く。
「申し分けないですが、特にひらがながひどいですね。これはどこのフォントですか?」
 写研やモリサワの美しい文字が、それらデンサン写植機に搭載されている時代ではなかった。
 リュウミンやヒラギノも、なかった。
 商社マンは、おそらく内心には、小僧への怒りをたぎらせながら、
「自社開発のものです……」と答えるしかなかった。

 そんなやりとりが連日のように繰り返されたが、営業マンたちも俺も、問われれば、答えは「NO」しかあり得なかった。
 けれど俺にとって、その日々は楽しかった。
 社長に随行し、一流商社から下にも置かぬもてなしを受け、うまいランチや、ごくたまにだが、美酒にもありつけたのだ。
 O村社長が俺のことをちゃんと紹介しなかったせいで、勝手に俺を二代目かなにかと勘違いした営業マンもいた。
 それに気づくと俺は慌てて否定し、相手はあからさまにがっかりしたもんだが、今思うとそれはそれで、そういう顔をしていりゃよかったと思うな。

 さて、そうした《随行》から戻ってくると、俺は「写植職人」たちに取り囲まれた。
「おい、今日のはどうだった?」
「ひどいもんでした」
「サンプル、持ってきてねえのか?」
「いや、もらえませんでした」
「ははは。そらそうだろうなあ」
「中国製の花火の注意書きみたいな字体と文字組みでしたよ」
「わはは」
 嬉しそうに笑うが、彼らもまた、《デンサン》が気になって仕方ないのだった。
「あんなもんはよう」と職人の一人が言う。「歯送りも長体もできねえんだろう?」
「ですね。ぜんぶモノスペース……等幅ですね。ぶら下がりもできない」
「ははは。ちゃんちゃらおかしいやな!」

 そんな日々だったが、いつもいつも商社の接待を受けるばかりで過ごしていたわけではない。
 製版部のデジタル室は、硝子張りのブースになっていて、そこに入るには靴を脱いでスリッパに履き替え、化学教室みたいな白衣を着用させられた。
 フィルムに付着するホコリを防ぐため、というのが第一の建前である。
 俺の仕事道具は、2つあった。

 ひとつは、写真の引き伸ばし機とそっくりの構造を持つ「倍率計測器」だ。正式な名称は忘れた。
 ここに、デザイナーが作った原寸大の原稿がある。人物写真のところには、コピーが貼られていればいいほうで、お団子みたいな輪郭が描かれている。
 さてまた、ポジ原稿がある。タレント事務所から借りてきた、重要な写真のこともあるし、どうでもいい《デュープ》のこともある。
 台に原稿をセットし、上下に移動するプレートにポジをセットして、上から光を当てる。
 デザインのコピー(あるいはお団子人物)と、タレントの写真の大きさが合うところまで、ダイヤルでプレートを移動する。
 大きさが一致したところで、目盛りを読み取る。
「120%」となっている。
 つまり、原稿のポジフィルムを、120%に拡大して読み取れば、版下にぴたりと合うわけだ。
 スキャン解像度は固定だった。
 今で言うなら、400〜600dpiくらいだったのかなあ。

 次の機械は、スキャナである。
 今でこそ「複合機」と称するプリンタにはフラットベッドスキャナは普通に付属している。
 しかし当時の俺が使わされていたのは「ドラムスキャナ」と言われる高価な精密機械だった。
 もっとも、ドラムスキャナじたいは、今も最先端の現場で活躍していると思う。
 こいつは、ツルツルピカピカのガラスの筒が横たわっている機械で、その上に、やはりツルツルピカピカのアクリル膜がかぶるようになっている。
 スキャンするべきフィルムを、ガラスの筒に慎重に載せ、上からアクリルの膜を被せて密着させる。
 テンキーを操作して、さきほど割り出した120%と数値を入力したらスイッチオン。
 ガラスの筒は高速で回転し、フィルムを読み取るためのレーザーヘッドが、左から右へとジワジワと動いて、ゆっくりとフィルムを読み取っていくのだ。
 目に浮かぶかな?
 
 その手の関係者に微笑んでもらうために、もうひとつマニアックな話を加えておこう。
 《ニュートンリング》……。
 すぐに通じれば、あなたはスキャナー・マン(ウーマン)か、あるいは物理学者だ(笑)。
 あれはどういう原理なのかなあ。いまだにわからないんだが、ひとつの喩えをしてみよう。
 今、キッチンからサランラップを取り出して、2枚を密着させてみたとする。やるならやってみて。
 よ〜くみるとその密着部には、水たまりや河川のような形をした、不定型な、虹色の渦が見えるはずだ。
 あるツルツル面とツルツル面が密着すると、光学的な屈折が起こるんだろう。これは、印刷にとっては邪魔なものである。
 それを避けるために、スキャンの際には2つの回避策がある。
 ひとつはジェル。もうひとつは粉だ。
 どういう基準でその両者を使い分けていたんだったか、俺には今、記憶がない。
 とにかく、原稿のフィルムの両面にエアボンベでプシューっとしてゴミを取った後、ジェルをヌリヌリするか、粉をごくわずかにパフパフする。
 ガラス筒・ジェル・フィルム・ジェル・アクリル膜……あるいは、
 ガラス筒・微粒子・フィルム。微粒子・アクリル膜……。このどっちかの層になることで、ツルツル面の密着が回避され、《ニュートンリング》は発生しないのである。
 ジェルの場合も粉の場合も、後始末が面倒だった。
 専用の洗浄剤でピカピカに磨き上げ、拭き上げた後、もとのケースに収めるのである。

 ま、そういう下働きを、毎日していたと思いねえ。
 
 俺がそのスペースのこっち側で、何枚ものネガやポジをスキャンしている時、ちょうど反対側には、畳を2枚並べたような機械があった。
 ハイデルベルグだかローランドマンだか言ったなあ。調べれば判るんだろうけど、なんだかゲルマンな名前のついた、でかいコンピューターさ。
 その前には、たった一人の「オペレーター」が座っていた。名を、安岡さんと言う。
 アマガエルのような色をした、巨大なマシーンに負けないくらいの巨漢だった。
 安岡さんは、やはり俺たちと同じような白衣を着て、いつもその巨大コンピューターに向かっていた。
 あれは今おもうとどういう仕組みだったのか……。単なるハードディスクの共有だったのか。俺がスキャンした写真は、すぐさま彼の前の、巨大コンピュータで観ることができた。
 まれに、
「タカギ君、ちょっとゴミが多いよ、注意して」とか、
「斜めってるよ」とか、言われたのを覚えている。
 
 安岡さんは、俺より3歳ほど年長だったと思う。
 どこやらの専門学校を卒業した後、大手の印刷会社から引き抜かれて《ひびき》に入ったらしい。
 おおらかないい人だったが、その《ハイデル》(もう、ハイデルってことにしちゃおう)とやらの前には、他人を寄せ付けなかった。
 遠目に観察すると、そのハイデルは、3つのモニターを持っていた。
 一番左は、黒地に緑文字。今思うと、DOSというか、ファイル管理システムだな。
 真ん中は写真の出るメインモニタ。今にしてみれば、せいぜい14インチくらいの窓だった。
 右側はのは、パラメータが並んでごちゃごちゃした画面だった。文字はどうやら、ドイツ語!
 で、手前に広がった卓には、宇宙戦艦ヤマトかスタートレックに出てきそうな、ボタンが、密集している。
 そういうコンピュータがあったわけさ。

 写植職人たちの暗室の入口は、そのハイデルのすぐ脇にあった。
 今にして思うと、なぜか連中だけは白衣を着用せずに、出たり入ったりしていたなあ。
 ともかくも、その連中が、非常階段のタバコ場に集っては言うわけだ。
「ヤスオカの野郎、俺はいつか殴ってやる」
「あんにゃろ、こないだGT-Rを買っただか言って自慢しやがってヨ」
「そんなの十円パンチで、ジーッってしちゃえば?」
「なんせ、ネンボウで700マンももらってるらしいしな」
「それはありえねーだろ」
「え? あの赤いスカイライン、野郎のだったのか! うはー」
「あのシートじゃ、デブには狭くねえか?」
 まあ、クソミソだ。

「なあ、タカちゃんよう」と、俺に話がまわってくる。
「なんすか。十円パンチは、オレ、やですよ」
「そうじゃねえよ。おまいもコンピューターに詳しいんだろ? だったら野郎を追い出せよ」
「コンピュータつっても、オレが使ってるようなのとケタが違う機械だし。わかんないっスヨ」
「けど、おまいもいつも社長にくっついてデンサンとか見に行ってんだろがよ」
「それとこれとは違うっスヨ」

 確かに安岡さんのふるまいは、尊大に見えないこともなかった。
「オレはおまえらとは違うんだ」という態度があった。

 製版部のコンピューター室に、二人しかいなかったあるとき、俺は言ったんだった。
「安岡さん、ここから先に行っていいですか?」
 《ハイデル》のエリアには、黄色いビニールテープが貼られていたのだ。
「え? あ……ああ、いいよ」
 俺は椅子の車輪を転がして、安岡さんの隣に行った。
「それにしてもスゴいですね、これ」
「まあね」
 彼が買った機械でもあるまいに、と思ったんだが。
「ちょっとだけオレにも、触らしてくださいよ」
「ダメー。ぜったいダメー。これ、2千万円〜」
 にべもなかった。
 方向転換した。
「んじゃあ、何かやって見せてくださいよ。あっちからじゃ、遠くて見えないんだもん」
 
 安岡さんは、左のモニタからファイルを選び、真ん中のモニタに写真を出した。
 俺がスキャンしたもののひとつだ。
 そのころ《ひびき》がやっていた仕事のひとつ、ある住宅情報誌の仕事だった。

「ここに写真がある」
「はい」
「これはキミのせいじゃないけど、ネガに傷がある。ここ、空のところ。わかる?」
「あ、ほんとだ」
「今からこれを消してみせる」
 安岡さんは、マウスを手にした。
 そのマウスは、今考えると驚きなのだが、無線だった。
 1センチ角くらいのグリッドが刻まれたいわゆるマウスパッドエリアの上で、光学マウスが働いていたんだろう。
 安岡さんは、スタートレックのコンピューターのようなキーボードの中から、ひとつを選んで押した。
 膨大なキーにはそれぞれ、意味不明のアルファベットが狭っくるしく3文字、記されていた。
 今思うと「SEL」……セレクト、とか、そういう略語だろうさ。
 そして安岡さんは、十字になったポインタで、その写真のゴミの周りに輪を描いた。
 それからまた、スタートレックのコンピューターののようなキーボードの中から、ひとつを選んで、おごそかに押した。
 すると、ゴミは消えた。
「うわ。すごいっすねえ」と俺は言った。

「電線や、電信柱を消すこともできるよ」と安岡さんは言った。
「消すだけじゃなくて、描くこともできるんですか?」と俺は言った。
「雲なんかを描くこともできるよ」
「へ〜」
「もっとも雲は、描くより消すことの方が多いけどね」
「それにしても、すごいボタンの数ですね。全部覚えているんですか?」
「だって、それが俺の仕事だもん。これはボカシ。こっちはニジミ。これがモザイク」

 まあ、それが、俺の見た《ハイデル》だった。

 製版の部署に、O村社長はよく顔を出した。
 現場監督の意味はほとんどなく、たいていは顧客への会社案内だった。
 やはり、極みは《ハイデル》だ。
 安岡さんは、お客さんを前に、いつも決まって電線を消して見せていた。
 お客さんたちがそのマジックに「おぉ〜」と声を挙げるのを背中に聞きながら、俺はスキャナを回していたわけだ。
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2007年02月21日

【第047章】

 江戸屋で小松君と会い、話すようになってから、何度目のことだったろう。
 なんど訊いても曖昧にはぐらかされていた彼のココロザシというやつを、聞かされた。

「劇作家を目指しているんだよ」
 およそそんなところではないかと思っていたが、いい気持ちはしなかった。
 ここでも俺は、自分の「望まないデュープ」を見たからである。

「シナリオライター?」と、かろうじて聞いてみた。
「いや、舞台にかける芝居だよ」

 小松君はその日、珍しく手ぶらではなく、かなりくたびれた黒い革鞄を提げていた。
 彼はその中からぶ厚い原稿用紙の束を取りだした。
 俺も昔から原稿用紙には馴染みがあった。400字詰めのその束は、ざっと見たところ250枚くらいありそうだった。
 
「ほかならぬタカギ君だから、読んでもらおうと思って持ってきた。一大決心」
「いまここで?」
「まさか。そんなにすぐには読めないだろう。鞄ごと持って帰って、ゆっくり読んで、感想を聞かせて欲しい」
「だけどこれ、生原稿でしょう?」
「いいんだよ、紛失さえしなければ」

 その原稿を読むという理由だったか、それとも他にわけがあったのだったか、その夜は遅くまで飲むことなく、早く別れた。
 9時より前だったと記憶している。
 はじめ俺は、学校の図書室にでも行こうかと思ったが、もう閉門の時刻が迫っている。
 とはいえ、なぜだか祥子の部屋に向かう気にはなれなかった。
 けっきょく俺はとりあえず、これもやはり江戸川橋商店街の中にある喫茶店に入ったんだった。

 原稿用紙は、右端が黒い紐でとじられてあった。
 千枚通しではなく、パンチで大きな穴を空けてあるので、元に戻すことは可能と判断して、ひもをほどいた。
 今もそうだが、俺は文章を読むのが早くはない。というよりか、文芸作品には、速読では失われてしまうものがあると信じている。
 それゆえ、コーヒーが出るのを待つ間、タバコに火をつけて、表紙を眺めていた。
 表紙には、原稿用紙を正しく使って、『五円の夜』とあった。

 主人公は、夕食の後でタバコを切らす。
 妻に買いに行かせようとするが、妻はいやがる。
 仕方なく自分で出かけようとするのだが、ポケットを探ってみると、タバコ銭には5円足りないことに気づく。
 主人公は妻に金をくれるように言う。
 妻は拒否するのみならず、家計の窮乏を訴える。
 主人公は狼狽しながらも、タバコ銭すら出せないことはないだろうと怒る。
 妻とのいさかい。
 主人公は激昂して、たったいま質素な夕餉を終えたばかりのちゃぶ台をひっくり返す。
 暗転。

 ここまでが一幕である。
 俺は暗然とした。
 なんなんだこれは?!
 太宰治か?
 時代背景はそもそもいつなんだ?
 それに、やっぱり、ちゃぶ台か……。
 ここまでで、コーヒーは空になり、灰皿は吸い殻でいっぱいだった。
 壁の時計は10時を回っている。
 先を読み進みたい気持ちを抑えて、俺は喫茶店を出た。
 
 これはとんでもない《実存主義文学》なのか、それとも何かの冗談なのか。
 俺はその時点でまったく判断しかねた。
 文字はしっかりした鉛筆書きの楷書だったが、ト書きの多い、お世辞にも読みやすいとは言えない戯曲だった。
 そのうえ台詞は、俺の目から見ても生硬で、ムダも多かった。
 しかし、ある種の異様な迫力を覚えたのは事実である。

 電車を乗り継いで寮に帰った。
 机に向かい、『5円の夜』の先を急いだ。

 主人公は工場労働者だ。
 単純労働に明け暮れている。
 赤い腕章をつけた同僚がやってきて、今の労働状況と賃金に関して主人公に意見を求める。
 主人公は「難しいことはわからねえけど、俺はゆうべ5円足りなくてタバコが買えなかったんだ」と言う。
 赤い腕章は、主人公の機械を止めさせ、タバコを勧める。
 そこに社長がやってきて、サボタージュをなじる。
 赤い腕章と社長の口論。
 仲裁する主人公。
 機械が次々と止まり、周囲から社長ににじり寄る労働者たち。
 暗転。

 これが二幕だった。
 俺は愕然とした。
 どうなるんだこの先?!
 小林多喜二か?
 フーテンの寅さんが現れないところを見ると、喜劇ではないようだ。

 この先は、すごいことになる。
 
 主人公は赤い腕章をつけて、労働争議の中にいる。
 社長をやり玉に、《権力の走狗》とか《経営者による搾取》などという、当時ですらキャンパスでよく見かけた過激派のタテカンみたいな台詞が飛び交う。

 場面が変わって、妻との愛欲場面。
 ことが済んで、眠りこける妻の横で、考えにふける主人公。

 深夜にもかかわらず訪問者。
 例の、彼をオルグした活動家。
 ピストルを預かれと言う。
 
 おいおい、どうなるんだ?

 刑事がやってくるが、ことなきを得る。
 妻がピストルを発見して主人公を問いただす。
 主人公は、この世の矛盾と、バブル経済の破綻を予言する。

 時代はいつなんだよ、ってば!

 そしてあれこれ、いろんなことがあって……だ。
 最後に主人公は、
「俺たちにも、俺たちの運命を決める自由意思はあるんだ!」と叫び、妻に向かってピストルをぶっ放す。
 妻は死ぬ。
 そして自分のこめかみにピストルを押し当て、引き金を引く。
 幕。

 俺は、文字通り、頭を抱えてしまった。
 両手で頭をはさんで、机に突っ伏してしまった。
 
 これを、どの劇団が、どの劇場で上演するというんだろう、と思った。
 けれどもしかして、そういう劇団は実在するのかな、とも思った。
 とにもかくにも、このような「ブンガク」の作者と、俺はいっしょになってホッピーを飲んでいたわけか。
 
 では俺がそれまでに書いてきた詩や雑文、あるいは先だって212Fで書き上げたあの《近未来小説風》は、これとどこが違うんだろうか?
 俺は真面目に考え込んでしまった。

 情けなかった。
 アマチュア、シロウト、っていうのは、かくも惨めなものかと思った。
 もちろん、自分をも含めて、だ。
 というよりむしろ、自分が惨めだった。
 
 眠れない夜になりそうだ。

 俺はそれでも、若さゆえの純情だったんだと思う。真面目な感想文を書くことにした。
 ワープロの電源を入れるのではなく、オニオンスキンの便箋を取り出し、愛用の万年筆にインクを入れた。
 
 丁寧な長文を書いたのだったが、最後の部分を思い出しながら再現してみる。

 ……
 結末に救いがなさ過ぎるように、僕には感じられました。
 しかし、このお芝居に、救いは必要ないのかもしれません。
 だとすれば、もっと恐ろしい悲劇が描けると思います。
 僭越かもしれませんが、僕なら以下のように書くと思います。
 
 主人公が、こめかみに当てた銃は、不発であった。
 何度引き金を引いても、弾は出ない。
 主人公は狼狽して、拳銃をあらためる。
 弾丸が一つしか入っていなかったことを知る。
 主人公は天を仰いで慟哭する。

 この方が、もっと悲劇だと思いませんか?


 精一杯の感想文だった。

=============================


 翌日、俺は出勤前に、小松君の勤める会社を訪ねた。
 元通りに綴じた原稿を納めた鞄を返した。

「どうだった?」
 小松君は目を輝かせていた。
「そうかんたんに一言では言えないから、長い感想文を書きましたよ」
 俺は、封をした感想文を手渡した。
「ありがとう。昼休みにゆっくり読むよ! 話の続きはまた!」

 俺はそれっきり、二度と《江戸屋》には行かなかった。

=============================

 
 上の段落までで、じゅうぶんだとは思うが、ここでも、その《理由》を書いておいた方が、誤解が少ないだろうか?
 あるいは、蛇足は誤解をいや増すだろうか?

 いいさ。
 今俺が書いているこの駄文がブンガクなんかじゃないと思ってるからこそ、書こうよ。

 俺は、彼とこれ以上、ブンガクやテツガクを語るのが、怖くなったのだ。
 誓って言うが、彼が稚拙な「プロレタリアート文学風・実存主義的悲劇」を書いていたことを軽蔑したわけではない。
 それは、とにもかくにも結末のある、れっきとした作品だったわけだし。

*むしろ、今思うと、あれはたいした珍作だった。少なくとも、書きかけて終わっていないシナリオなんかより、ずっと立派だった。

 しかし、俺はただひたすら、彼の住む世界にあるらしい、はっきり言うが、腐ったまんじゅうに生えた白カビのようなものを、全身から、払い落としたかったのだ。

 もっと言おうか。

 若僧の俺の判断ではあったにせよ、どうにも才能がないと判りきってしまった人間と、これ以上の時間を過ごしているヒマは、自分にはもうないと感じたのだ。
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2007年02月20日

【第046章】

 祥子の部屋には、必要最低限の家具が揃い始めていた。
 彼女には必需品だった電子レンジも、いつの間にか冷蔵庫の上に乗っかっていた。

「来るなら来る、いてくれるならいてくれるのが、いい」
 俺が気まぐれに深夜訪れることへの不満だ。
 これには冷静に答えることが出来た。
「彼氏と別れることになったことには、オレに理由があるかもしれないけど、オレはここに住むつもりはないよ」
 何を考えていたのか、祥子はしばらく黙っていた。
 やがて、
「住まなくてもいいから、来るときはあらかじめ、言ってほしい」
「それは、今後、そうするよ」
「大森よりは近いからって、ここをホテルにしているでしょ?」
 もちろん、思い当たるふしはあった。
 が、同時にカツンときたところもあった。
「じゃあ、今後はちゃんと大森に帰ることにするよ」
「そういう意味じゃないの」
「どういう意味なんだ?」

 おそらく今も、夜ごと、世界中の男女の間で、そんな会話が交わされていると思う。

「安定がほしいの。リズムって言ったらいいのかもしれないけど」
「わかるような気がする」
「あなたがどういう日常してるかわかんないけど、あたしはあたしの日常があるの。レッスンも撮影もあるし、学校へも行ってるし。でもあなた最近、学校へも来ないし、夜中に突然来るし」
「だから判ったよ。もう夜中の訪問はしないよ」
「そういうことじゃないの」
「どういうことなんだ?」

 いま現在、世界中の男女の間で、そんな会話が交わされているはずだ。
 
 あえて言おう。
 このときの、女の子の言うべき正しいセリフは、
「もう来ないでちょうだい」なんだ。
 きっとそれが正しいんだろうと、今の俺は、そう思う。
 
 だが、彼女がその時言った言葉を、俺はあえて書くことにしようか。

「……って言っても、あたしにもセックスは必要だし

 別にショックでもなければ、驚きでもなかった。

 そして、俺が答えたセリフを、俺はもちろん書こうさ。

セックスにスケジュールなんて、ないだろ?

 俺たちは狂っていたか?
 そんなことはないと思う。
 若い男女の、すごく真面目な会話だったんだ。

「中江さんがね……」と、祥子は言った。エージェンシーの部長の、中江女史だ。「やっちゃだめだって言うの」
「なんで?」
「体が崩れるし、気持ちも崩れるんだって」

 俺は、3秒黙っている間に、本堂との同棲を知った時の中江さんの困惑を思い出した。

「なにを根拠に」
「あたしも判らない。でも、あたしは、ステージに立つようなモデルじゃないから、好きにすればいい、って言うの」
「ステージに立つ女は、やっちゃいけないのか」
「おしりが大きく、平たくなっちゃうんだって」
 
 なんて話を書いているんだろう、俺は!

 けど、もういいだろう。
 ここまで書いてきたんだし。
 そういう話もあったってことで、読んでくれたらいい。

 そして俺たちは、絡み合って、それぞれが気持ちヨクなっていたのさ。

 俺のあいまいな結論は、
「学校へ毎日行くかどうかは別として、遅くとも23時までにはこの部屋に帰るよ」
 ってやつだった。
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2007年02月19日

【第045章】

 《インターフェース》での仕事を終え、あるいは抜け出した俺は、学校へ行くと称してその実、そこらをふらついていることが多かった。
 その頃よくはまり込んでいたのは、江戸川橋と神楽坂を結ぶ赤城坂下にあった一杯飲み屋だ。
 仮に《江戸屋》と呼ぶことにしよう。
 
*つい先だってその界隈を散策した際に、まだ立派に営業しているのを見て、うれしかった。開店時間には少々早く、一杯飲めなかったのが残念だ。

 江戸屋にはいつも、近辺の印刷工や製本の仕事をする人たちが蝟集していた。
 ホッピーという飲み物を知ったのも、そこだ。
 ドーナツ型のビニール椅子にまたがって、何の肉だか判らない串焼きにかじりついた。
 勘定は驚くほど安かったし、顔見知りになったおじさんたちが振る舞ってくれることも多かったので、ふところの心配をする必要はなかった。
 ところで俺はその、寅さん言うところの「労働者諸君」に混ざって、心から楽しんでいたわけではなかった。
 しょうじき自分を一段高いところに置いたつもりで、彼らの生態を《観察》していたつもりなんだから、我ながらあきれる。
 プロ野球を巡ってのたわいない口論。
 お互い別の会社ながらその垣根を越えて《営業の連中》への悪気ない悪態で盛り上がり。
「酒が飲める酒が飲める酒が飲めるぞ〜」なんていう古くさい歌が湧き起こる。
 様式化されたお芝居のような夜ごとだった。
 俺はドストエフスキーの小説の一節なんかを思い浮かべながら「労働者諸君の酔態を観察しているつもり」だったが、そうでもしないと、自分の心の置き所が判らなかったのだ。
 今思えば、《自分のココロ》なんてものは、酒場の中では、タバコのケムリに混ぜ込んでしまえばいいだけの話なんだけどね。
 
 そんな江戸屋で、俺はある若い男と知り合った。
 他の多くと同じく、作業着を着ていて、時代がかった黒いセルフレームの分厚い眼鏡をかけていた。
 年齢は俺よりいくつか上だったと思う。
 俺は彼に《革命家》というあだ名をつけたが、本名は小松君と言うのだった。
 小松君はやはり近くの印刷工場で働いているのだった。
 基本的には物静かな男で、先輩や同僚たちと店に入ってくる時には、青白い顔をうつむけて黙っているのだが、酒はよく飲んだ。
 酔うとすぐに真っ赤になった。
「おまえは理屈っぽいのがいけねえ!」と、よく先輩にからかわれていたが、そんな時にはムキになって、つばを飛ばしながら反論するのだ。
 そんな様子が、一昔前のサヨクの革命家を思わせたので、俺が先に勝手につけたあだ名なのだった。
 ある時彼は、一冊の本を手にしていた。
 油染みたカウンターにばさっと置かれたその本を、見るともなく見ると、サルトルの「実存主義とは何か」という著作だ。
「おや?」と思った。
 俺は生意気な高校生時代に、友人らといっしょにその本を読み、フランス語の原題を覚えただけでいっぱしの文学者・哲学者気分になったもんだった。
 原題は、今は、忘れた(笑)。
 とにかく、実存主義っていうのは「イグジスタンティアリズム」というのだ、たしか。
 そのとき小松君は俺の隣の席で、仲間たちの議論から外れたかたちで、ホッピーかなんかを飲んでいた。
 
 青臭い話だが、俺は小松君に、暗号で問いかけたんだ。
「アンガージュしてる?」

 小松君は、はっとした顔を俺に向けた。眼鏡の奥の目が、ギョロギョロしてる。
 一応いわずもがなの解説をしておくと、アンガージュってのはフランス語で、英語で言うとエンゲージ……engageと綴るはずだ(辞書を引くのが面倒なので、間違っていたら教えてほしい)。つまりは普通にとれば、
「婚約してる?」と訳して間違いないと思う。
 けど、実存主義……中でもサルトルにかぶれたことがあればこれは、実存主義の用語で「(自己)投機」と訳されるんだな。
 まー、そんなこたーどうでもいいんだけど、かいつまんで言えば、
「自分の人生に対して、主体的に意思決定していますか?」ってなことになる。
 もっとも、俺は小松君に、それが聞きたかったんじゃなくて、
「なかなかテツガクな本を読んでいらっしゃるじゃないですか」ってなほどの挨拶だ。

「アンガージュしてますよ」と、小松君は答えた。
 それが彼との出会いだ。
 そのひととき、周りの喧噪は俺たちのBGMであり、カウンターの内側から立ち上る脂煙は、俺たちのスクリーンだった。
 小松君は熱烈にテツガクや思想を語り出し、俺は自分の知識と解釈の範囲でそれにツッコミを入れた。
 今思えば、幼稚な言葉のプロレスごっこにすぎないと思うが、ともかくも、彼はそうした会話にかつえていたと見え、かなり興奮していた。
 
「おいコマツ〜、そろそろ行くぞ〜」
 と彼の連れたちが席を立った時も、
「いや、ボクはもう少し飲んできますんで」と答え、俺へ言葉を続けるのだった。
 作業着の先輩格が俺に、
「すいませんね。こいつ、理屈っぽいでしょう?」と、
「いえいえ、ボクも理屈っぽいので気が合っちゃったようです」
 その夜、俺たちは店が看板になる時刻まで、言葉のプロレスを楽しんだ。
 蛸山が消えてからというもの、俺もまたそうした話を交わす相手がいなかったのだ。

 小松君は俺の勘定まで払ってくれようとした。
「いや、それじゃ公平じゃないよ。またどうせ会うんだし」
「だけど、キミは学生で、ボクは社会人だからさ」
「オレも給料はもらってますよ」
「じゃあ、こうしよう。坂を下りたところに、まだまだやっている店があるから、そこに河岸をかえよう。で、タカギ君はそこを払ってよ」
 
 俺たちは江戸川橋商店街の一角のヤキトリ屋で、飲み直した。
 ホッピーに飽いた喉に、生ビールがとてもうまかったのをありありと思い出す。

 聞けば小松君は、ある大学のドイツ語科を中退していた。
 学生時代には「オチケン」こと、落語研究会に属していたそうだ。
 あるココロザシはあるのだが、今はその準備期間として、働きながら雌伏しているらしい。
 ニーチェやヘーゲルを原書で読めるらしい。
 今は「仮の姿」らしい。
 水道橋の1間のアパートで、婚約済みの女性と同棲しているそうだった。
「だから、さっきは驚いたんだ。キミが言ったアンガージュマンは、あながち外れじゃなかったのさ」 
 
 この時に感じた気持ちを、正直に話そう。
 俺は、自分のデュープを見たような気がした。
 デュープ……今も使われることはあるのだろうか? 複製されたフィルムを表す印刷用語だ。
 コピーと言ってもいい。
 ただし、寸分違わぬデジタルのコピーではなく、光学的に複製されたコピーだから、当然、オリジナルより劣化している。
 デュープのデュープは、さらに劣化する。
 それぞれの違いは、よく見ないと判らないものの、オリジナルとデュープのそのまたデュープでは、明らかに品質が違う。
 彼と俺の、優劣を言いたいんじゃない。
 ただ、構図的にあまりに似通ったものを感じて、少しだけそら寒い感じがした。

 俺は俺、自分は自分と思っていた自分が、それにずいぶん類似しているような、あえて言えば、数年先の自分のような人物に出会う。
 俺は、寒く感じる。
 しかし小松君は何を見ていたのだろう、感じていたのだろう。
 テーブル越しに俺の手を握っては、
「君と会えたのは、ボクが今日、行くかどうか迷った江戸屋に自分をアンガージュしたことの結果だ。よかった!」と繰り返した。

 俺は退屈していたわけでもないし、同じような言葉を返したんだと思う。
 しかし、体からたましいが離れたみたいに、店の天井からその小さなテーブルを見下ろしている、もう一人の俺がいたような気分だった。

「さて、数年後に、オマエはやはりこの町で、誰かと串焼きをかじっているかい?」

 小松君がまだ結婚できないのは、経済的理由があるからだそうだ。
「でもしかし」と彼は言った。「サルトルとボーボワールの契約結婚と同じで、ボクらは事実上の夫婦でさ」
 同じなのかどうなのか、今もって判らないが、俺の頭に浮かんだのは、水道橋にあるという彼らの小さな巣のことだった。
 そして俺は、祥子を思い出した。
 小松君は、すでに俺に心を開いていたので、その《事実上の結婚生活》をつまびらかに話し出した。
 彼が話したのは、奥さんとなるべき人の職業や、経済状況の話だったんだと思う。
 だが、それとはぜんぜん別に、俺の頭には、窓辺に飾られた緑色の小瓶と、そこに挿された小さな花が浮かんだ。
 ちゃぶ台の上の急須や、煎茶のだしがらが浮かんだ。
 炊飯器の湯気や、そこにかぶせた清潔なフキンが浮かんだ。
 一組の薄っぺらい布団が浮かんだ。

「さあ、そろそろ行きませんか?」と俺は言った。
「名残惜しいけど、明日もあることだしね」と小松君は言った。

 握手して、別れた。
 俺は江戸川橋でタクシーを捕まえ、高円寺へ急いでもらった。
 その夜の、ぜんぶの出来事……とは言っても、小松君がそのほとんどすべてなんだが……それらをぶっちぎって、俺は祥子を欲していた。
 タクシーの料金メーターは、ヤキトリ屋での勘定を、どんどん超えたが、まったく気にならない。
 タクシーのメーターは、つまりは俺の欲情に比例して、赤い数字を上昇させて行った。

 窓辺に飾られた緑色の小瓶と、そこに挿された小さな花。
 ちゃぶ台の上の急須や、煎茶のだしがら。
 炊飯器の湯気や、そこにかぶせた清潔なフキン。
 一組の薄っぺらい布団。

 それらに俺が小さなシアワセみたいなものを感じて、頭の中に何かが灯ったと思われたのなら、やはり俺は下手な書き手ということになる。

 それらは、俺が一番いやなものだった。
 いちばんおそれているものだった。

 だのに……なんのことはない。
 一組の薄っぺらい布団を思い浮かべ、エロスに火がついただけのことだ。

 やりたかった。
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2007年02月18日

【第044章】

 【43】の最後で問いかけたことに関して、コメントをいただいた。
 ありがたい。
 しかし、やはり誤解があったようだ。
 つまりは普段から、人によってそれぞれの読み方をされているんだなと、改めて思った次第である。
 意図通りに読ませられないのは、俺の力のなさだ。
 しかし、どんな風に書いても、ありとあらゆる解釈があるっていうことだろうなと悟った。

 少し悩んだが、やはりちょっと居住まいが悪いので、答えを書くことにする。

 俺は《人にモノを渡すときの謙虚さと傲慢》なんてことを言いたかったのではない。
 「クソつまらない大むかしの雑誌原稿をよすがにしているジジイ」と「5年前の本を自己紹介がわりに差し出す自分」の類似について、言いようもなく悔しく、そして恐ろしいということが言いたかったんだ。
 作ったモノがその瞬間から古びるのは宿命としても、願わくば永遠に光り続けるモノを作らなくてはいけないという自戒。
 過去などはきっぱりと忘れ去り、いつも未来を見なくてはいけないんだという決意。
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2007年02月17日

【第043章】

 言うまでもなく、今の俺は《寺坂先生》に対して、なんの恨みを持つものでもない。
 ただ、つい最近「職場の上司にイジメ抜かれた」という人の話を聞いていて、記憶がありありとよみがえった。
 《ササイ》のことが知りたくてこの文章を読んでくれている方たちには退屈な枝分かれかもしれないが、当時の俺やその時代を書いていく以上、やはりできれば書いておきたい話がいくつかある。
 「上司のイジメ」というものをその頃の俺がどう考え、それにぶつかったり身をかわしたりしたのかも、もしかすると、誰かの何かの参考になるかもしれないと考えるからだ。

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 《コンピュータに詳しい》などというのは、O村社長の大きな買いかぶりで、俺はちっとも基本が判っていなかった。思えばその当時は、88(ハチハチ)の時代を経て、98(キュウハチ)の時代になっていた頃だと思う。
 エプソンの 386だか398だかいう機械があった。8インチのフロッピーを挿入するタイプのマシンだ。
 その機械には「一太郎」というワープロと「花子」というドローイングソフトが搭載されており、俺はやはり独学でそれらを使って、輸出用マニュアルの図版を作り、これをVentura&レーザープリンタから出力された紙に貼り合わせたりしていた。
 版下屋さんの杉田さんに届ける原稿も、かなり念入りなものになっていたわけだ。
 その一方、 MS-DOSというものが少しずつ判りだし、config.sysや autoexec.batなどというものの存在を知り始めた頃だった。
 旧くからのパソコンユーザーなら微笑んでくれるところだと思うが、そうでない方のために一応解説すると、これらは自分のコンピューター、つまり「パソコン」を起動するための初期設定ファイルだ。これを自分なりに書き換えることで、自分の環境が起動する……そんなものだと思ってくれたらいい。
 
 そんなレベルで右往左往していた俺だったが、先生がいないことがなによりの先生だったようにも思う。
 これは、その後の俺の仕事にも通底している。いわゆる解説書をいかに読み込んでも、腹の底から納得できる理解には通じないのだ。
 まあ、それはそれとして、だ。
 ある日、O村社長から命令が下った。いわく、
「これからはコンピューターの時代になるのは間違いない。ついては、営業部の連中に、ひとつ《レクチャー》をしてやってほしい」とのこと。
 日時も場所も、すでに決められていた。
 非常に戸惑いはあったものの、拒否することなど出来なかった。

 《レクチャー》は、ひびき印刷で一番大きな会議室を使って行われた。
 一刻を争うような仕事に追われている営業マンたちが、社長の厳命により、あからさまに迷惑そうな顔をして集まってきた。
 その場に、言いだしっぺの社長がいてくれたならまだしも、仕切るのは《ひびき印刷》のキツネ顔した総務部長。
 はなはだ心細い気持ちでホワイトボードの前に進み出たことを、今も覚えている。

 話の内容というのは、今聞くと吹き出してしまうものかもしれないが、どうか笑わないでほしい。つまりは、

・ MS-DOSとは何か……
 それは、マイクロソフト社の開発(あるいは買収?)した、ディスク・オペレーション・システム、である。
・コンピュータでは何ができるのか……
 「桐」というデータベースで、たとえば顧客管理ができる。
 「一太郎」というワードプロセッサで、企画書を書くことができる。
・インターフェース社では、どのようにコンピューターを利用しているか……
 翻訳者たちとのチャットや原稿の受領を行っている。
 レーザープリンターで、版下を作っている。

 ほとんどの参加者が、折りたたみ椅子の上から腕組みして俺を睨んでいた。あるいは、居眠りをしていた。
 ただし、いくつか前向きなスルドい質問をする人や、俺の誤謬をサポートしてくれる発言もあった。
 今にして思うと、個人的な趣味でパソコンに精通していた人だったのだと思う。

 3時間近くにもおよぶ《レクチャー》が終わりかけた頃だ。
 会議室の後のドアが開き、入ってきたのは、ループタイを締めたチンパンジーみたいな寺坂先生だった。
 入って来るなり、会場の最後部から一喝だ。
「事務所にだーれもいねえと思ったら、こういうことしてたか!」
 みんなが振り返った。
 そもそも、寺坂先生は、インターフェース社の顧問ではあっても、ひびき印刷に対してなんらの権威あるものではない。
 なのでこれは明らかに異様な言動なのだが、ひびき印刷の営業マンたちは、何事が起きるのかと、むしろ刺激を歓迎するような様子だった。
 先生は人をかき分けてひょこひょことやってきて、プラスチック製の小さなハンドマイクを俺からもぎ取って、
「いやいやどうも、寺坂です」とやりだした。
 泰成さんがうまく取りなさなかったら、どういうことになっていたのかと思う。
 ひびき印刷の連中は、明らかに困惑しつつ意味不明な笑いを浮かべ、けじめもなく《レクチャー》は散会した。
 
 その後、俺はO村社長に呼ばれ、どういう話になっていたのだか、
「俺はオマエに、コンピューターのレクチャーを頼んだのにさ」
「コンピューターの話をしましたよ」
「いや……」と言って、O村社長は腕組みしたまま眉根を寄せ、下を向いた。
 何がどうなって、どう伝わったのだろう。
 こればかりは今も判らない。

 寺坂先生は、週に2度ほどインターフェース社の狭いスペースに顔を出した。
 あれもどういうイキサツでそうなったのか、ついたての向こうの《デザイン室》の《弟子》だった智恵子というコが、先生にお茶を出すようなキマリになっていた。
 いずれにせよたかが粗茶だと思うのだが、先生はほぼかならず
「これはぬるい」だの
「茶碗の半分以上に茶を入れるバカがいるか」だのとナンクセをつけた。
 今思っても、くだらない。
 智恵子もまた、どこだったかド田舎出身の、見るからに鈍重そうな、あまり愛想もよくない子だったもので、イジメるにはちょうどよかったのだろう。

 さて一方、俺は、たいてい先生には背中を向けるかっこうでパソコンをいじっていたわけだが、先生はまるで、近くでそれを覗き込むと目がつぶれるとでも言わんばかりの調子で、遠くから俺を呼ぶのだ。
「おいこら、小僧」と。
「はいっ」と俺は快活に振り返る。
 我ながらマゾっ気があるのかといぶかしんだこともあったが、センセイに侮辱されればされるほど、なんだか自分の中に、きれいなものでも溜まっていくような気持ちがしていた。
 ともかく「はいっ」と振り返ってみると、センセイは横柄に手招きをする。
 広くもないそのスペースを、椅子の車輪をつかって近づこうものなら、センセイ、小魚でも釣り上げたように興奮して、
「こら!」だ。
 年長の者、しかも《大先生》に呼ばれて、立ち上がって跪かぬとは何事かというわけだ。
 もちろん金輪際ひざまずいたことなどないが、それでも椅子からはぴっと立ち上がる。
「さっきから、何をくだらんことやっておる!」
「はい。今日中に杉田さんに持って行く原稿の出力がありまして」
「出力だとう?」
「はい。プリンターで」
「バカも〜ん!」
「?」
「原稿というものは、コンピューターまかせで出すモノではないだろ〜! 心を込めて自らが脳みそ絞って書くモノだろ〜!」
 嘘みたいだが、そういう、正直いって「アタマのおかしい」やりとりが実際にあったのである。
 センセイはある意味ほんとに《コンピューターは原稿を自動筆記してくれる》と思っていたのだろうか。
 しかし、今もって我ながら不思議だが、心の中に復讐を誓っていながら、あるいは誓っていればこそ、俺は答えたんだった。
「すみません寺坂先生。おっしゃるとおり、原稿は心を込めて書かなくてはいけないものなのに、僕ときたら、ついコンピューターに頼ってしまい。ほんとうに我ながら、バカだと思います。どうか見捨てず、ご指導下さい」
 文言こそじゃっかんの違いはあれど、まさに俺は、そのように答えた。
 徹底的にそうした。
 念のため言うが、俺はそのセンセイになにか一抹の《学ぶべきモノ》があるとは、これっぱかしも思っていなかった。
 正直、時代遅れを通り越した《愚かな老人》としか思わなかった。
 口を開けば、過去の自慢話や、俺にはよくわからんトランジスタの理屈。
 俺は、そのたび、心からうなずき、相づちをうち、センセイを賛美したものだ。
 ここは難しいところなんだが、俺は彼を軽蔑していても、うなずきと相づちはホンモノだったのだ。
 矛盾と思われるだろうか?
 軽蔑しつつの賛美は矛盾であり欺瞞か?
 そうではないのだ。
 俺は、センセイが、驕慢で、自己顕示欲が強く、遠い過去を自慢すればするほど、その哀れさがむしろ驚異だったのだ。
「このような老猿が実在するんだ!」という、驚きである。

 ある時の話である。
 例の鈍重そうなデザイナーの智恵子が、自分のデザインが初めて商品化されたといって有頂天になっていた。
 それはある会社のパンティストッキングのパッケージで、女性の脚を抽象化したシェイプを重ね、紫系の色彩でグラデーションをつけたものだった。
 今も目に浮かぶ。
 それがデザインとしていいのか悪いのか俺にはわからなかったが、それでも彼女の初仕事をみなでよろこんでいた。
 そこに、まさに折悪しく、センセイが入って来たんだな。
 で、よりにもよって、先制攻撃だ。
「ぬるくて薄い茶なら、要らんからな」ときたもんだ。
 しかし、うれしさのさなかにいた智恵子は、そんな嫌みにもクサったりせず、
「大丈夫です先生。今日はおいしく淹れますから!」と給湯室に立った。
 やがて、茶が出て、センセイはそれを口に含んだ。
 果たして、文句は出なかった。
 智恵子は、その様子を見届けてから、言った。
「先生、聞いて下さい。あたしのデザイン、初めて商品になるんですよ!」
 そうして彼女は、平たい筒状に組まれたパッケージの実物を手に取り、センセイの前に差し出した。
 センセイは、しわしわの手でそれを取ると、一瞥して、
「なあにが、デザインだか……」
 そして、あろうことか、パッケージをぽいっと床に投げ捨てた!

 智恵子は顔を覆って部屋を飛び出していき、デザイナーが後を追った。
 俺もそのときばかりは頭にきたが、それよりむしろ唖然としたというのが正直なところだ。
 反応したのは、泰成さんだった。
 素早く席を立つと床のパッケージを拾いあげ、
「さすがにこれはひどすぎませんか、寺坂先生」
 と、穏やかながら、威厳のある声で言った。
 泰成さんは、長いこと居合道の稽古をしていて、いざとなると肝が据わっているのだ。
 俺が覚えているのは、猿ジイサンの手が、ぷるぷるとわなないていたことだ。
 泰成さんもそれ以上は言葉を重ねず、ジイサンを見下ろしていた。
 そのままの構図で、いくらかの時間が流れた。
 やがて、猿は、
「不愉快だ! 帰る」
 と立ち上がり、出ていった。

 泰成氏はふーっと息をつき、
「ほんとうに、困ったもんだな」と言った。
「あの人は、会社の役に立っているんですか?」と俺は訊いた。
「そんなこと、君は、知らんでもいい」と、泰成さんは席に戻った。

 一時間後くらいだろうか。
 電話が鳴り、俺が出た。
 寺坂だった。
「いやあ、失敗失敗。泰成くんは、まだ怒ってるかねえ」
 ごく一瞬、俺は頭の中で、言葉を整理した。

「センセイ、まさか! 泰成さんは怒ってなどいませんよ。むしろ、センセイを怒らせてしまったと言って、たいへん気にされていました。今は外されていますが、センセイがご心配なさるようなことは何にもありませんよ。ほんとうに申し訳ございませんでした」
「ヘッヘッヘ、そうかい。ならいいんだが。こんど、うまいモナカでも持って、また顔を出すよ」

 泰成さんは、外出などしておらず、自分のデスクにいて、俺をじっと見ていた。
 電話が終わると、すべて合点がいった様子で、ただひとこと、
「タカギ君。君もたいしたもんだな。えらいよ」
 泰成さんがこう言う時、それは揶揄でもなんでもない。

 俺は泰成さんに褒められ、嬉しかった。

 さて、このセンセイのエピソードは枚挙にいとまないが、ここではあとひとつくらい紹介しておこうか。

 センセイの手にかかれば、業界のありとあらゆる人が弟子筋だったり友達だったりすることになってしまうわけだが、その中に俺の知っている人はなかったし、どこぞの会社の会長や社長というのにも、まるで関心がなかった。
 ところがある日センセイ、作家の名前を出したのだ。
「あいつあポン友でねえ、いっしょにいろんなワルサをしたもんさ。あんにゃろは、要領のいいところがあってねえ、今じゃそこそこの売れっ子のつもりだ」
 その時点で俺はその作家を読んだことはなかったし、名前も知らなかった。
 バリバリ理系のセンセイと、作家なんて人のどこに接点があったのか、聞きそびれてしまったが、その名前を俺は心に刻んだ。

 それから、さほど経たないうちに、俺は早稲田通りの古本屋で、その作家の本を発見した。
 仮にM先生としておこう。
 超のつく一流でこそないが、ある有名な出版社から、その随筆集は出ていた。
 鉄道の旅を主体とした紀行文らしく、俺の好みのジャンルではなかったが、これも何かの縁と買い求めた。
 読むと、詩情のあるやさしい文体で、格調もあり、決して退屈な本ではなかった。
 折り返しなどを見るにつけても、他に多くの著作があり、たまたま俺の出会いは古本屋だったものの、新刊も多く出しておられ、固定的な読者をしっかりつかんでいるだろうことが察せられた。
 俺は会社にその本を持参し、泰成さんに見せた。泰成さんはその作家をよく知っていた。
「釣りや登山が好きな人なら、よく知ってる人だよ」
「そうなんですか〜」
 俺は会社の書棚にその本を納め、そのときばかりは、センセイのおでましを待った。
 数日後、センセイが現れた。
 俺は挨拶もそこそこに、すかさずM先生の本を取り出し、
「読みましたよ、M先生の本。有名な方なんですね!」と言ったもんさ。
 すると、うちのセンセイは、立ったまま腰をかがめて前屈み、まるで相手を威嚇するサル山のサルみたいな表情になって、わめき立てた!

「そ、そ、そんなくだらんもんを読んでる身分じゃねえだろ〜!!」
 まさに、絶叫に近かったなあ。

 俺はとにかく驚いて、それでも深く頭を下げて、なんだか知らないが自分の不始末を詫びたんだった。
 結局、まるで隠れキリシタンへの踏み絵のように、センセイはそのM氏の著作が《くだらない本》であることを、俺に宣誓させようとした。
 もとより敬愛する作家でもなかったので、M先生には悪いが、俺は、
「いやあ、じっさい、退屈な本でした」と言わされるハメになった。
「わかればいいんだ」
 と、これは冗談みたいだが、本当の話なのだ。
 
 若さというのは、よく言えば純情だが、悪く言うと無神経なものだ。
 若くて愚かな俺も、5分くらい経つと、なぜ自分の行動がセンセイの逆鱗に触れたのかが判った。
 5分ほどかかったのが、今思うと笑ってしまうんだが。
 で、俺はそのとき、この喩えが正しいかどうか別として、『毒を食わば皿まで』という言葉を自覚しながら言ったもんさ。
「センセイ、僕のような馬鹿者はどんな本を読んだらいいんでしょうか」。

 後日、会社宛に《着払い》の段ボール箱が、東京都近郊のセンセイの居宅から送られてきた。
 開けると、かびくさいにおいが漂い、古ぼけた雑誌がぎっしりと詰まっていて、
「要返却」と書かれた紙切れが載っかっていた。
 雑誌は、電子回路の技術などが詰まった薄い専門誌で、あまりよい紙質ではなかった。
 出版年代は明らかに旧く、小口は経年変化ですすけていた。
 一冊を手に取ると、付箋が挟まっており、そこには寺坂先生の記事があった。
 次の一冊も、他のものも同様だった。
 ダイオードだかトランジスタだか、俺には判らなかったが、学術論文とも言えずエッセーとも言えないそれを、俺は生真面目に読んだもんさ。
 もちろん、内容はさっぱりわからなかったし、言うまでもなく、判らないから困るようなものでもなかった。
 
 今、俺の目の前に、2001年に出版された『高木工務店』という本がある。
 それは今でもいちおう、アマゾンで売られているし、自分のサイトでも《安売り》をしている。
 俺は初めての人にお会いするとき、名刺に加えてそれを差し上げることがある。
 もちろん、愛着も自信もある書籍さ。
 でも、それを人に差し上げるとき、俺はいつも、あの時段ボールを開けた時のにおいが、鼻の中によみがえるような気がするんだ。
 みなまで言いたくはないが、つまりはこう思うのさ。
「オレは今、謙虚なココロで自分の著作を献呈したわけだが、実はこれ、とんでもなく傲慢で不遜な行為じゃないのかな」と、内心でどきどきしつつ、鼻の中にはあのカビのニオイが漂っているわけさ。

 俺はこれまで、多くの美しい雑誌たちにもたくさんの記事を書かせていただいた。しかし、編集者には申し訳ないことながら、俺の部屋にはそれらはストックされていないし、自分のポートフォリオも、俺は持ってない。

 このブログをも含め「作られるモノ」の、いかにはかないことよ、と思う。
 書かれたものは、その瞬間から旧くなる。
 それをぶら下げている自分は、やはり、最低でも1ミクロンくらいは、すすけている。
 
 仕方ない場合も含め、「CRIMSON ROOM」とか「QP-SHOT」とか、俺の口からそれを発するたび、俺の鼻の中は、カビくさいあの日のにおいでいっぱいになっているんだ。
 通じるかな?
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2007年02月16日

【第042章】

 その頃も《ひびき印刷》でのアルバイトは続けていた。
 正しく言えば《ひびき印刷》社屋の中の狭い一室に引っ越した翻訳会社でのアルバイトだ。
 これまで名前は出してこなかったが、今後は仮に《株式会社インターフェース》と呼ぶことにしよう。
 社長が自殺したあとの《インターフェース》は、これもそれまで名前を伏せてきたが、番頭頭だった泰成(やすなり)さんが滞りなく仕切っていた。
 スペースとしてはかなり手狭になったものの、その分人もかなり人も減っていたので、なんとかなっていた。

 以前にも書いたが、IBMやその《クローン》と呼ばれるマシンたちに埋もれるように、仕事をしていた。
 狭いスペースのついたての向こうは《デザイン室》だった。そういうとかなり立派なものが想像されてしまうが、実際は《デザイナー》とその弟子が二人がせっせと(あるいはのんびりと)チラシやパッケージのデザインを行っていた。
 当時の《デザイン》と言えば、方眼紙にざっとラフを書き、その後、素材写真の版権会社のカタログなどからコピーした素材を糊でコラージュしたり、手書きの見出しにフォントの指定を行うような作業だったようだ。
 一方、ついたてのこちらでは、これも以前に書いたが、Venturaにテキストを流し込み、レーザープリンタと組み合わせて、DTP(デスクトップパブリッシング)のはしくれのようなことをやっていた。
 コンピュータによる《デザイン》など、うっすら予感はするものの、誰も現実には考えてもいなかった時代の、おもしろいネジレ現象だったと思う。
  
 印刷会社の営業マンは、誰もがバイタリティに溢れている(か、あるいはそれを装っている)感じであり、ジャンルごとにいくつかの課に分けられ、反目しつつも結束し、毎日駆け回っていた。
 営業部の部屋を《刑事部屋》のようだなと思ったものだ。
 誰もが色校(本格的な印刷に入る前に、デザイナーやお客に、仕上がりを確認するためのもの)を小脇にかかえて駆け回り、ルーペを覗いては「黄版がズレている」とか「赤が浮いている」などと活発にやりとりしていた。

 一方、徒歩1分のところに印刷所があった。ここでは、老練な印刷工たちが、気むずかしい顔をして、インクの量を調節したり、大きな紙を捌いたりしていた。
 この人たちは非常に気位が高く、よく言えば一徹、悪く言えばヘンクツで、営業部の無理な注文にヘソを曲げてみせたり、不可能と思われる納期に夜なべ仕事で対応したり、大量のヤレ(事後のクレームや誤植などで反故になった紙)を嘆いたりしていた。
 俺はこの工場へ行くのが好きで、何かと理由を見つけては、よくその薄暗い建物へ入り込んではあぶらを売っていた。
 そのうち、あることに気づいた。
 工場には、耳の遠い人が多かった。最初、連転機の轟音を毎日聴いているせいかと思ったのだが、もともと耳に障害のある人がこの職に就くことが多いということが判った。会社にも、そういう人の雇用を進めることでなにか税制上などの恩恵があったのかもしれない。
 また、知恵遅れの人も数人いた。彼らは印刷機に直接触れるような仕事はしていないことが多く、印刷所内の掃除や、用紙の運搬などに従事していることが多いようだった。
 いずれにせよ、耳の遠い人も知恵遅れの人も、調和して働いているという印象が強く残っている。
 今でも、《チームワーク》という言葉を聞くといつも、あの情景を思い出す。

 さて、そんな日々の中、《ひびき》のO村社長が一席を設けることになり、アルバイトの俺までがそこに呼ばれた。
 なんでもえらい先生をお招きする会とのことで、粗相がないようにと泰成さんにも事前に注意された。
 その日、神楽坂の料理屋の座席で、その会は設けられた。
 O村社長、泰成さん、翻訳者のスコット・R(アイルランド系アメリカ人)、そして俺が待つ中、その《先生》は現れた。
 
 俺は今でもそうなんだが、第一印象でひとのおおむねを判断してしまう。
 のちのち目がね違いに気づいて反省することもあるが、ほとんどの場合、見誤ったことはないと思っている。
 この時現れた先生を一見して、俺は、
「これはとんでもない猿ジジイ」だなあと直感したことだった。
 仮に名前を寺坂先生と呼ぶことにしよう。
 身長は160未満。年齢70歳くらい。見かけは、服を着たチンパンジーのようだった。曲がった前歯が飛び出している。
 威厳らしきものは、少なくとも俺には、まったく感じられなかった。
 
「これはこれはようこそおいでなさいました」と、O村社長は芝居がかった挨拶をし、
「先生、お久しぶりです」と泰成さんも、座布団を外して挨拶した。
 スコットと俺は、正座し、その場でお辞儀をした。

 何が始まろうとしているんだろう……。若い俺にはかいもく見当もつかなかった。

 後で判ったこと、そして、この歳になってやっと合点がいったことを総合すると、以下のような話になる……。

 売り掛けを回収するため+αの意図をもって、O村社長は《インターフェース》を吸収した。
 改めて検分すると、かなり放漫な経営がされていたことが判った(俺がもらっていた高額なアルバイト料などは、ほんのその一角)。
 同時に、印刷会社の感覚では信じられないくらい、インターフェース社は営業努力というものをしていなかった。
 一例をあげると、俺が泰成さんに常々言われていたこんなセリフがある。
「初めてのお客さんに気をつけるのはもちろんのことだけど、最初の電話で一度でもお金の話をした人の仕事は、絶対に請けてはいけないよ」
 これは泰成さんの苦い経験に裏打ちされた鉄則とのことで、今考えても一面の真理はあると思う。が、その一方で確かにO村社長が憤慨したような「消極的な営業姿勢」が現れていると言えるだろう。
 いわば、バブルの時流に乗って殿様商売をしていたのがインターフェース社であり、社長の自殺はその破綻の象徴的な出来事だったのだ。
 O村社長は、営業にテコを入れることにした。
 俺にはうかがい知れないところで、何度かO村社長と泰成さんの会合がもたれたのは知っている。その中で登場してきたのがこの寺坂先生だったのだ。
 寺坂先生は、つまるところ、かなり長いキャリアを持つテクニカルライターであり、オーディオ評論家だった。その仕事を通じて、O社やP社など、音響関係のメーカーに広く顔が利くという。
 それもそのはずだ。新しい音響技術や回路などが発表されれば、専門誌の多くがそれを紹介する記事を書くことになる。寺坂先生は、一般にこそ名は知られていないものの、やはりその業界では知られた存在であったらしく、時に辛口なその評論は、オーディオマニアにとってはいささかの影響ある存在だったのだ。
 それゆえ各社は寺坂先生をおそろかにはしないという構図が出来上がっていた。
 インターフェース社のメインの仕事が、さまざまなオーディオメーカーのカタログやパンフレット制作だったという話は以前にも書いたと思う。それゆえ、泰成さんもかねてから寺坂先生との面識はあったわけだ。
 海外向けパンフレットでの用語統一などに際してアドバイスを求めたりしたいきさつから、スコットもまた、寺坂先生を知らぬ間柄ではなかった。
 くどくどと書いてきたが、つまりはO村社長は、この席をもって寺坂先生にインターフェース社の非常勤の顧問になってもらうことを依頼し、それによって各オーディオメーカーとの絆をより強めようという話だったのだ。
 つまりは、役人の天下りといっしょ。相手が元役所のエライさんか、業界に毒を持つ評論家であるかの違いだ。
 
 話の下地は出来たいたのだろう、会食の席ではもちろん特に顧問料などの具体的な話は出ず、ただO村社長は北陸生まれの苦労人らしく臆面なく寺坂先生に「おねがい」を繰り返し、寺坂先生はあまり酒には強くないと見え、真っ赤な顔をますます猿らしくしながら、
「あそこの会長には他人にはちょっと言えない貸しがある」だの、
「どこぞの部長は一度どやしつけたことがある」だの、
「どこどこ会社の工場長はかつての教え子だが、出来が悪くて」だのと、どこまでがホントかわからないような法螺を吹きまくっていた。
 スコットはさすがに若いアメリカ人らしく、ぱっぱと目の前の料理を平らげると、とっくに伸ばしていた体をさらに後に反らせ、
「ファ〜」とあくびをしたりしたもんだ。
「おい、スコット!」と寺坂先生。「おまえ相変わらずお行儀が悪いな」
 エヘヘと悪びれる様子もないスコットだった。
 ところが矛先がこっちへ向いたのには困った。
「ときに……」と、寺坂先生は猿顔の中の目をきらりと光らせ、「さいぜんからそこにいる小僧さんは、それは何だね」と、俺を指して言った。忘れもしない。まさに文字通り、そう言った。
「いやいやすみません、先生」と大村社長。「紹介が遅れたことをお詫びします。彼は泰成君のところの若い者でして《コンピューター》が得意なもので、先生がいらっしゃるなら、ぜひ技術的なお話を伺いたいと懇願するものですから」
 もちろん懇願などしていないのだが。
「あたしゃーコンピューターなど興味はないし、むしろでえきれえだ」
 言うと寺坂先生はそっぽをむいて杯を空け、泰成さんが素早く俺に目配せした。
(口答えはするなよ)というわけだろう。
 O村社長は寺坂先生の杯に酒を注ごうとしたが、そんな時に限ってとっくりが空っぽで、妙な間だったことを覚えている。
 それにしても、時は90年代。いかにオーディオ評論の重鎮とはいえ、真空管ばかりではあるまいに。
 若くて生意気だった俺も、その場ではカッとなるよりむしろ唖然とした記憶がある。
 
 ただ、帰りの徒歩での道々、なんとも言えない不愉快な気持ちに襲われた。
 あのジイさんは、これからちょくちょく会社に出てくるのだろうか?
 どうやればジジイに一泡吹かせてやれるだろうか。

 道を迷ったのだったか、それが最短ルートだったか、面影橋のあたりだったと思う。
 俺は電話ボックスから祥子に電話した。
 彼女はすぐに出た。
「《接待》ってやつなのかなんかしらんが、いやな晩飯を食ってさ」
「それで?」
「会いたいなと思ってさ」
「もちろんいいけど、いやな話は聞きたくないわ」
「わかったよ」
「で、来るの?」
「行くよ」

 俺は早稲田駅への坂を上った。
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2007年02月15日

【第041章】

 寮の郵便受けに、蛸山からのハガキが入っていた。

*その後、引っ越すたびごとに棄てようかどうしようか迷いながら、ついに今の家まで持ってきてしまった手紙箱の中に、いまやかなり黄ばんだそのハガキを見つけることが出来た。
 細い水性ボールペンを使って、横書きで、読みづらい字で書かれている。
 そのまま写してみよう。(小山恭子というのは、仮名である)

「前略。
 予告もなく××××寮を去ったことを謝る。すれ違いが多くてその機会が持てなかったのだ。他意はない。おまえはおまえで忙しそうだったが、おれはおれでいろいろなことがあった。まずバイトをした。いつまでもやっかいになっているわけにもいかんと思ったのでな。いくらか蓄えようと思った。少しは貯まったよ。そんな時、小山恭子に偶然再会した。で、なんとなく小山のところに転がり込んだかたちになり、しばらく付き合っていたのだが、わけあってまたそこを出ることになった。
 今は京都で『回り舞台』を押している。(舞台の下の空間と『奈落』って呼ぶのを知っていたか?)その奈落で、ドレイ船のようにぐるぐると棒を押している。舞台の上には、あの『いぬ』の町田町蔵が出ている。おれにはやさしくていい人だが、こないだは奥さんをサンダルで殴りつけていたよ。怒らせると怖そうだ。ハハハ。
 人生いろいろあるが、いまはとりあえず楽しいよ。高木も元気でな。では。」


 小山恭子というのは、実は俺の中学時代からの同級生だった。高校も同じだったのだが、その6年間を通して、俺にはあまりはっきりした思い出がない。成績も優秀で、姿もきれいだったと記憶しているが、異性として意識したことはほとんどなかった。
 中学・高校を通して、美術部にずっと所属していて、当時も武蔵美だか多摩美だかに通っていたとは聞いていた。
 蛸山とはあまりに不釣り合いな気がしたが、今思うと似合いだったのかもしれない。
 
 思いがけない喪失感を感じた。

 部屋は、いつにもまして、きれいに調えられていた。
 ただ、人気はもちろんなく、ひんやりと、寒かった。
 俺はどこかに蛸山の痕跡がないか、見回したが、何もなかった。
 なくなっているものもなかった代わりに、やつが残していったものも、何もなかった。
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2007年02月14日

【第040章】

 その後、何日かを、俺は祥子の家で過ごした。
 近所の電器屋で、冷蔵庫や電話機などを買いそろえた。
 買い物は簡単だった。常に一番安いものを選んだからだ。
 
「夕食はどうする? いつも外食じゃなかったんだよね?」
「いつもはだいたい、お互い外で食べてくるか、たまに本堂が作った」
「君は料理はしないの?」
「したことない。冷凍食品ならよく作ったけど、もう電子レンジがないわ」
 冷凍食品は、作るとは言わないだろう。

 俺は料理してやることにした。
 最初に作ったのはクリームシチューだったと記憶している。
「最初に肉を炒める野菜を炒めるなんていうのは、無意味なんだよ」
「でも、この箱にはそう書いてあるけど?」
「あと『アクをすくえ』とかだろ? そういうのは、横着者の奥さんでも、料理をしたような気になれるようにという、メーカーのおもわくさ」
「じゃあ、どうするの?」
「肉と野菜を切って、水とルーと一緒に鍋に入れて、あとは焦がさないように煮るだけだ」
 興味なさそうな顔で、祥子は聞いていた。

 俺自身はといえば、自炊の際に、レトルト食品や市販のルーを調理することはめったになかった。
 見切り品のトマトを箱ごと買ってきて、大きな鍋で煮込んだり、ニンニクと鷹の爪だけでスパゲッティを作ったりしていた。
 あるいは大きなランプ肉を買ってきて一晩野菜くずと油に漬け込んで、豪快に網で炙ったりした。
 蛸山が居着くようになってから、そうした、素材からの料理作りはますます多くなっていた。
 やつは小麦粉を大量に買い込み、器用にナンを焼いたり、麺を打ったりまでしたものだ。
 そんな料理を祥子に教えても、どうなるものでもない。
 しかし俺は何か、使命感のようなもので、そうしたことを教えてやっていた。
(彼女は、俺が原因で一人になった。そうしてなんだか、頼りない。この子が一人でちゃんと暮らしていけるようにしてやらなくては)
 というわけだ。
 
 あるていどまで祥子の暮らしが整ったのを見て、俺は急に、一人の時間が恋しくなった。
 いや、寮の自室が、と言ったらいいのかもしれない。
 その日も、昼夜兼帯できる肉じゃがのようなものを作ってやって、俺は帰ることにした。
 なにしろ、下着こそ安売り店で買った物に着替えてはいたものの、ずっと同じ服を着ていたのだ。

「また、戻ってくるよね」と祥子は、心細い声で言った。
「戻ってくるよ」
「ぜったいね」
「わかってる」
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2007年02月13日

【第039章】

 祥子と俺とは、ささやかな引越祝いをすることにした。
 駅裏の、あまり高級でもない焼肉屋だったが、俺は肉や臓物を丁寧に焼き、祥子の皿にとってやった。
 思えば一日、何も食べていない。俺も祥子も、たくさん食べた。
 
「今夜はすごく冷えるわね。火の前にいても、足元が寒いもの」
 祥子のその言葉で、俺はガスストーブのホースのことを思い出した。
 彼女をそこに残し、店主に近くの荒物屋の場所を聞いた。
 あっけないほどの値段で、ゴムホースとそれを締めるための金具を購入した。
 
 戻ってみると、祥子は焼き網の上にありったけの肉や野菜を載せていた。白い煙が上がり、ほとんど焦げていた。
「あー、なんてこったい」
「だってあなた、遅いんだもの」
「ちっとも遅くなんてなかったろ」
 祥子のそうした《バランスの崩れ》は、今に始まったことじゃない。彼女らしいことだ、と、俺はとがめたりはしなかった。

 ガスストーブは見事に着火した。

 *今にして思うのだが、ちょうど俺がリヤカーを返しに行っている間に、ガス業者に来てもらったような覚えがある。

 ただ、ストーブはあまりに旧式のものだったので、着火スイッチがバカになってたんだかそもそもなかったのだか、最初に火を灯すためには、マッチかライターが必要だった。
 100円ライターの火を横にかざして、ゆっくりと栓を開けていくやり方を教えてやったのだが、祥子は尻込みしてうまくできなかった。
「明日になったら、チャッカマンを買ってやるよ」
「ああ、あのピストルみたいなライターね。あれなら怖くないかも」

 天井には、シーリングランプを下げるためのフックとコンセントはあったが、照明器具はなかった。
 さいわい、キッチンの上に、よくある30センチほどの蛍光灯がついていた。
 青白くて頼りないその明かりと、ストーブの放つ赤い炎の間で、俺たちは身体を丸めていた。

「照明器具もなければ、冷蔵庫もないんだな、この部屋には」
「そのうち揃えるわ。とは言っても、あんまりモノを増やしたくはないけどね」
 冷蔵庫ばかりは、さすがの《卓球部屋》にも、なかった。あっても運ぶすべがなかった。
「それに、鍋釜のたぐいもなさそうだな」
「中華鍋とアルミの小さな鍋はあるわ。あと、食器は少し持ってきた。あたしが買ったものをね」
「電話はどうする?」
「電話はね、休止していた回線があるの。だから、明日にでもNTTに聞いてみる」
「電話機は?」
「それは買わなくちゃならない」
「アキバにでも行くか?」
 俺は笑いながら言った。今はどうなのか、ずいぶん様変わりしてしまったと聞くが、家電の一切合切を揃えるなら、当時はやはり秋葉原だった。
「おいおい揃えていくから、いいわ」

 そんな話を続けながら、俺にはひとつの疑問、いや、違和感がつきまとっていた。
 それというのも、自分の立場、立ち位置のことだ。
 俺は単に女友達の引っ越しを手伝ったのち、たまたまこうして、今だけ、ここにいるのか。それとも、俺は「本堂と入れ替わった」のか。
 この寒々しい部屋を、祥子が好き勝手にととのえていくのを、黙って見ていればいいのか。それとも、俺もいっしょになって、ここを新しい《ル・プティ・ニ》……「小さな巣」にしていかなくちゃならないのか。

 夜は更けた。
 祥子は布団すらもっておらず、布団袋の中に入っていたのは、薄っぺらくてくたびれた、三段折りになるウレタンのマットレスと、数枚のシーツや毛布だった。
 それを敷き、キッチンの明かりを消すと、ガスストーブの赤い光だけになった。
「つけておこうか? それとも消す?」
「ガス中毒になりそうで怖いわね」
「んじゃ、消そう」

 ガスが燃えるかすかな音が消えると、部屋はひどく静かになった。
 真っ暗になるような気がしていたのだが、実際はそうじゃなかった。
 大きな窓から差し込む街灯の明かりが、目が慣れるにつれ、まぶしく感じられるようになった。
 そうだ。この部屋にはカーテンすらなかったのだ。
 窓ガラスは視界を遮るためか、細かい凹凸があり、外の景色は見えなかった。凹凸は光を拡散し、街灯を大きな満月のように見せた。
 マットレスの上で背中をくっつけ合った。

「いいことを思い出した」と俺は言ったんだった。
「なに?」と小さな声で、祥子は答えた。
「ストーブのそばで、扇風機を、微弱で回すんだよ」
「それが?」
「暖かい空気が循環して、上にばかり行かなくなる。部屋全体が暖かくなるだろう」
 
 *いま俺はこれを書きながら、笑いを禁じ得ないんだが、まったく馬鹿なはなしをしたものだと思う。

 祥子は黙っていた。
 何を思っていたのだろう。知るすべもなかった。
「それって、いい、アイデアかも、しれないわ、ね」
 眠りに落ちる直前の、あいまいな声で、祥子はつぶやいた。
 それっきり、眠ってしまったらしい。
 
 俺の心は、これっぱかしも、ロマンチックなものじゃなかった。
 部屋の寒さ以上に、何か冷たいものが、胸の真ん中を吹き抜けていく感じだったことを覚えている。
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2007年02月12日

【第038章】

 ガスストーブと扇風機を両脇に抱えて部屋を出ようとしたが、これではとうてい高円寺までは行き着けないと気づいた。
 ビニール紐をかけまわし、うまい具合に取っ手を作って、持ちやすいようにした。
 季節的に、なんとも不釣り合いな荷物2つだ。

 高円寺のレンタルショップで驚いたのは、店主がリヤカーのレンタル料を請求しようとしたことだった。
 昨日あれだけの馬鹿げたやりとりのあとで、祥子が前金を現金で払ったのにもかかわらず、だ。
 領収証なんてものはもちろんないし、あっても俺が持っているわけはない。
 くだらない押し問答で時間を食った。
 今思っても、あの店主は、意図があってああいう因縁をつけていたとしか思えない。
 もともとなんの愛着もなかったが、俺は高円寺という街が嫌いになった。
 ひとの隙につけ込む、いやしいヒッピーどもの街だと思った。

 *少なくとも、その時は……だ。

 ともあれ、リヤカーに、ガスストーブと扇風機を載せて、俺は道路に出た。
 北から南へ線路を渡るのに、階段が使えないので、ずいぶん遠回りした記憶がある。 

 俺は自前で用意してきた軍手をはめていた。
 サビの浮いたリヤカーのハンドルを握っている感触は、今でもなんとなく思い出せるようだ。
 職業に貴賤なしとは言うけれど、俺はなんだか、うらぶれたクズ屋にでも落ちぶれたような気分になった。

 団地の前に、荷物が運び出されてひとかたまりになっているのが、遠くからも見えた。
 ドラッグストアーで調達したかと思われる、トイレットペーパーかなんかの大きな段ボール。不定形にゆがんだ布団袋のような包み。ひもでくくった雑誌のたぐい。
 俺はそのそばまで到着し、リヤカーのハンドルを置いて、大きく息をついた。
 両手に雑誌の束をぶらさげた祥子が、ちょうど降りてきた。
 彼女もまた軍手をはめていて、俺はなんだか笑い出しそうになったのを覚えている。

「あと少しよ。少しだけ」
「電化なものがちっともない引っ越しだね」
「そんなものは何もないわ」
「俺も上にあがろうか?」
 祥子はかぶりを振った。
「もう少しだから」
 言い残して、祥子は階段を上がっていった。

 俺は団地の入り口に集められていた荷物を、リヤカーに載せた。ひとごとながら、あるいはひとごとゆえに? 荷物はどれも、くだらないものばかりに思えた。

 祥子が、俺の手助けを断った理由が判った。
 荷物が載って後に傾いたリヤカーに腰かけ、タバコに火をつけようとした時のことだ。
 ランバージャックみたいなチェックのジャケットを着た男が、団地の入り口から出てきた。坊主頭には、これまたチェックのハンチングのような帽子が深くかぶさっていた。
 やつとの距離は、3メートル。その視界に、俺は、間違いなく入っていたはずだ。
 息を呑んだ。
 しかしやつは、俺に一瞥をくれることもなく、幅の広い肩をいからせて、早足で、駅の方へと向かって行った。
 その背中を目で追いながら、タバコに火をつけた。

 祥子は、これで最後という荷物を両手に、降りてきた。
 ゴミ用の黒いビニール袋(当時は透明なんかじゃなかった!)が2つ。何が入っているのかは判らなかった。
「これで終わり。行こうよ」と祥子は言い、俺はリヤカーのハンドルをまたいだ。そのとき「あっ」
「どうした?」
「大事なもの忘れるところだった」
 祥子は再びきびすを返して、階段を上っていった。
 なんだか俺には、その忘れ物が、判った。

 すぐに降りてきた祥子に、
「忘れ物をしてきた人が、手ぶら?」
「鍵を新聞受けに入れてきたのよ」
 
 思った通りだった。

 リヤカーというのは、とてもよく出来ている。
 うまいことバランスを取れば、荷物の重さは、そう感じない。
 ただ、おそらく俺が慣れていないせいだろう。小回りが利かない。
 俺はゆっくりと、祥子の家財道具を引っ張り、彼女はうしろから手を添えた。
 たいした距離ではなかった。
 はた目にどう映るかなんて、気にした記憶はない。

 狭い路地を苦労しながら曲がり、祥子の新居に到達した。
 その時点でもまだ、俺は駅からの道を把握していなかった。
 リヤカーを、ブロック塀の隙間から小庭に滑り込ませ、大きな掃き出し窓から荷物を運び込んだ。
 引っ越しは、たちまち終わった。
 
 俺は駅前のレンタルショップまでリヤカーを返しに行くことにしたが、道順がおぼつかなかった。
 どういうわけか祥子は、前掛けのポケットに小さなメモ帳とボールペンを持っていて、簡単な地図を描いてくれた。

 レンタルショップでは、またいやな思いをした。
 礼儀正しく引き戸を開けて挨拶をしたのだったが、例のヘアバンドヒッピーは、親指で斜めうしろを指さした。
 どうやら、店の脇の空き地に入れておけということらしい。
 ほとんど廃車同様のママチャリが乱雑に重なったその隙間に、リヤカーを放り込んだ。
 へんに力を入れてしまったせいで、手首をひねってしまい、それがまた、いまいましかった。
 いましがた俺たちの引っ越しを手伝ってくれたリヤカーを、思いっきり蹴飛ばしてやった。
 振り返ると、ヒッピーが、腕を組んで俺を睨んでいた。
「そういうのって、アリ?」と奴は言った。
「そういうのって、どういうのスカ?」とおれは答えた。
 「……スカ?」って、敬語らしきものがついているところが、22歳だな。
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2007年02月11日

【第037章】

 祥子が案内してくれたのは、狭い路地が入り組んだ住宅街だった。
 元々あまり方向感覚が優れていない俺は、駅前からの位置関係がすぐに判らなくなってしまった。
 ただ、彼女と本堂のすみかである団地とが、駅を挟んで対角にあるのは、なんとなく理解できた。
 
 それは新しくもないアパートの、1階の部屋だった。
 寒々しい部屋だった。
 ドアを開けると正面にキッチンがあり、左手がバスルームで、右手に6畳ほどの部屋があった。
 狭い庭らしきものへ続く大きな掃き出し窓がついている。
 床はあいまいな黄色のクッションフロアで、言うまでもなく、家具のひとつもなかった。
 もっとも、引っ越し前の部屋が寒々しく感じられるのは当然のことだ。しかし、祥子と本堂の、濃く熟した住まいをすでに見ていただけに、俺は心細い気持ちになった。
 祥子はと言えば、特に寂しがっている様子も見られず、自分が自力で手に入れた新しい空間を、むしろ自慢するような調子だった。

「収納ってもんが、ほとんどないのよね」と祥子は、まるでそれだけがその部屋の欠点でもあるかのように嘆いてみせた。「まあ、仕方ないわ。タンスか衣装ケースでも買うことにする」
「それに、ここには暖房器具ってもんがないな」
 足の裏から冷たさがしみこんでくる。
「そうなのよね。電気ストーブがいいの? こたつは、なんだかいやだわ」
「俺の部屋は、小さな電気ストーブがひとつっきりだよ。ただし、部屋の中でもずっと靴を履いているけどね」
 祥子は俺のことばをよそに、部屋の中を検分していた。
「これ、何だろう」
「ガスストーブの栓じゃないのか?」
 祥子はしゃがみ込んで、コンセントに蓋がついたようなその小箱をいじった。
「どうやらそうみたい」

 俺は、あることを思い出した。寮の《卓球部屋》のことだ。
 もともとは何だったのだろう。焦げ茶色の羽目板がびっしりと張り巡らされた、豪華な造りの部屋だ。
 奥の壁には大きな黒板があり、折りたたみ椅子や会議用の長机が畳まれて積み重なっていた。
 部屋の中央には卓球台があった。ボールやラケットもそこいらに転がっているが、そこで誰かが卓球をしているのを見たのは、一度きりだ。
 ふだんはほとんど誰も出入りしない部屋だったが、その部屋にはある役目があった。というのも、卒業や、あるいはなんらかの理由で寮を出て行く連中が、使い古したかあるいは新品の電化製品や家具をそこに置いていくという、なんとなくの慣習があったのだ。
 俺自身そこで、とてもいい音を出すオーディオアンプや、クラシックなデザインの椅子を手に入れたことがあった。
 その《卓球部屋》に、オレンジ色をした小振りのガスストーブがあったのを思い出したのだ。
 寮の部屋には、ガスストーブの栓があった。しかし、どういう理由か、使われなくなって久しいようだった。そのストーブは、遠い過去の遺物なんだろう。骨董品みたいなそいつが、ほこりをかぶっていたのを思い出した。あれなら、昨日や今日に、なくなっているはずはない。

「引っ越し祝いに、いいものをあげることにした」
「なに?」
「ガスストーブ」
「なんだかつまらないプレゼントね」
「しかも、火がつくのかどうかもわからない」
「どういうこと?」

 祥子は、今にでも引っ越しをしたい様子だった。
 本堂への気持ちや未練に関して、俺は質問をしたかった。でも、聞けなかった。
 おそらく彼女は、新たに借りた自分だけの住居に、高揚していたのだと思う。
 それともそうやってみずからを高揚させることで、思いがけない本堂との別離を、自分なりにごまかしていたのかもしれない。

 何もない部屋に鍵をかけて、俺たちが向かったのは、これもまた高円寺駅そばにあるレンタルショップ。
 俺たちが借りることにしたのは、リヤカーだった。
 そのレンタル料がいくらだったかは覚えていないが、思いのほか高かったような気がする。
 祥子はすぐに手付けを払おうとしたが、俺はそれを押しとどめた。
「だって、当日になってから借りられないなんてことになったら、困らない?」
「むこう一年、リヤカーを借りるやつなんて、絶対いないはずだよ」
 そんな問答をしたのだったが、こけた頬に無精ひげ、脂っぽい長髪にエスニックなヘアバンドをしたレンタルショップの主人は、
「いえいえ、リヤカーの需要はけっこうありますよ」などと言ったもんだ。
「ほらね!」
 と祥子は、俺を横目で睨みながら、前払いをした。
 しかし、なんのことはない。彼女の言う「引っ越し当日」というのは、その翌日なのだった。 

 布団も暖房もないクッションフロアの上で眠ることは出来ない。
 とはいえ、どこかに泊まることになれば、俺は《引っ越し祝い》を持ってくることができない。
 祥子はやはり、本堂との家に戻ることになった。
「荷造りをしなくちゃいけないんだから、仕方ないわよね」
 当然のことだ。
「今夜になって、彼の気が変わることはないのかな」
「ないと思う。そういう人じゃないから。それにあいつはなにしろ、あたしの口座にお金を入れてくれたのよ」
 もうひとつ、聞きたいことがあった。
「最後の夜を、彼はどう過ごそうと思うだろうな」
「どういう意味?」
「どうもこうも……」
「あたしはおそらく、片づけで徹夜になるわ」

 翌朝の予定。
 俺は11時にレンタルショップでリヤカーを借り出し、それを引っ張って、祥子と本堂の団地まで行くという約束。
 一緒に夕食を摂ることもなく、俺たちは高円寺の駅で別れた。

 寮に帰って最初にしたことは、《卓球部屋》を調べることだった。
 狙っていたガスストーブは、元の場所にあった。
 機能を検査することはできなかったが、ついているホースが短く、しかも老朽化していることに気づいた。明日の朝のうちに、なんとかしなくてはいけない。あるいは、祥子の引っ越しが済んでからでもかまうまい。
 同時に目についたのは、古くさい扇風機。これは、コンセントに挿してみれば動作が確認できる。
 ほこりっぽいその2つのブツを小脇にかかえ、俺は部屋に戻った。

 蛸山は、やはり戻っていなかった。
 電話室に降りていって記録簿を調べたが、俺への電話がかかってきた形跡はなかった。
 心当たりの寮生に尋ねてみたが、誰もタコの消息を知るものはいなかった。

 扇風機を試してみた。
 ちゃんと動いて、季節外れの冷風が部屋の空気をかき回した。
 ガスストーブは、燃焼部分と輻射のためのメタルがほこりまみれだったので、雑巾で丁寧にぬぐった。
 古くさいオレンジ色に塗装されているとはいえ、きれいなものだった。

 もう寝ようかと思うころ、インターフォンで呼び出された。
 蛸山だと確信した。
 急いで電話室へ向かうと、途方に暮れたような顔をした一年生が受話器を握ったまま、
「切れちゃいました」
「誰だった?」
「聞きませんでした」
「男か?」
「男です」
「タコヤマって言ってなかったか?」
「聞きませんでした」

 それからしばらく電話室で待ったが、俺あての電話は、二度とかかってこなかった。
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2007年02月10日

【第036章】

 およそ1時間後、俺は祥子に教えられた高円寺北口の喫茶店を見つけた。
 ドアを押すとカウベルがカラ〜ンと鳴った。小さなコーヒー屋だ。
 祥子は右奥の隅で、文庫本に目を落としていた。
 何を読んでいるのかは、気にもならなかった。
 
 俺を見た時の祥子の表情は、これまでのどんな時より、晴れやかに見えた。

「《本日のコーヒー・マンデリン》っていうの、おいしいわ。これで2杯目」
 別に、長く待ったということをとがめ立てする口調ではない。
「じゃあ、俺もそれにするよ」
 カウンターに目をやると、口ひげのマスターがうなずいた。

「すべてとんとんびょうしだったのよ」と、祥子は語り出した。
 いつもよりはまとまっているものの、やはりとりとめのない祥子の話を要約すると、こういうことになる。

 昨夜、帰宅すると、本堂はいなかった。しかし、いつ帰ってくるかもしれないと思い、祥子はベッドに遠慮して居間で眠った。
 けっきょく本堂はその夜、帰ってこなかった。
 目覚めてすぐに祥子は、自分の口座残高を調べようと、貯金通帳を持って銀行へ出かけた。
 記帳して、思いがけないものを発見した。
 モデルエージェンシー「O」からのギャラ。祥子の予想を越えて、大きいものだった。
「お礼かたがた、中江さんに電話をしたの」
 中江女史はおりよく在席中で、彼女の仕事ぶりを褒め、今後も多くの見込みがあると伝えたそうだ。
 祥子はその足で、駅前の不動産屋に飛び込んだ。
 当時でも、敷金2・礼金2が相場だったと記憶しているが、それをじゅうぶん払えるだけの金が、祥子にはあった。
「それである物件を、即決したの。ただし、すぐに移れるという条件をつけてね」
 《すぐに移れること》……不動産屋はそういうことには慣れている。ただ、これもいつもの手順通り、保証人を要求した。

 *ちなみに、俺がそうした賃貸不動産の段取りを知ることになったのはずっと後のことだが。

「保証人は、原則的に父親でないといけないと言うのよ」と、祥子は苦々しい顔をした。「あたしがあまり父とうまくいっていないことは、前に話したと思う」
「うん。少しだけ聞いてるよ」
「だから、不動産屋には、父も母もいないことにしたのよ」
「へえ。でも、それでうまく話が通じるもんかな」
「もちろんさいしょは、不動産屋も困った顔をしたわ」と、祥子は話を切り、コーヒーを啜って、身を反らせ、得意そうな顔をした。「で、もっぺん、中江さんに電話をしたのよ」

 中江女史は、俺にも言ったんだった。祥子が男と棲んでいるということは、あまりよくないことだ、と。それがどういう理由なのかは今もって俺には判らないのだが、相応のワケがあるのだろう。
 祥子は、これまで男と同棲していたこと、そしてかねてから自立を目指していたこと、話が急なことになってしまったが、まさにいま引っ越しをしようとしていること、保証人たるべき父はすでにいないのだということを説明したのだと言う。
 しかし、すでに祥子の履歴書を見ていた中江女史は、その嘘にすぐに気づいた。
「『お父様はご健在でしょう?』と中江さんが言うのよ。だからあたし、機転を利かせて『今、不動産屋さんから電話しているんです。急な話でごめんなさい』と言ったの」
 祥子はずいぶん誇らしげだった。
「で、中江さんに、話は通じたの?」
「『不動産屋さんに電話を替わって』と言ってくれたの」
 不動産屋と中江女史の長いやりとり、そして、一度の中断ののち、不動産屋がどこかへかけた別の電話。その間に届いた中江女史からのFAX。
 そして最後には、不動産屋みずからが、中江女史に電話をした。
 結局、敷金と礼金と手数料をその場ですぐに祥子が持参するという条件で、賃貸契約は半ば完了した。

「つまりは、あの会社の信用と中江女史の押しが、効いたというわけだ」
「あたし自身の将来性というのも、そこにつけ加えて欲しいな」
 いままで見たこともない陽気さで、祥子は言った。
「なにせよかったな。それで、君は今すでに、そこの鍵を持ってるというわけだ」
「そう、これね」と祥子は、ありふれた鍵を2つ、振って見せた。「それでね、お金を下ろしにすぐに銀行へ行ったのよ。そこで見たもの、わかる?」
「わかんないよ」
「わかんない?」
「……わかった」
「わかった? 何よ、言ってみて」
「自分が《麻酔リス》といっしょに写ったデカいポスターだろ?」
 俺は笑いながら言った。
 祥子は顔をしかめ、俺が吐き出したタバコの煙を払いのけるようなしぐさをした。
「そんなんじゃないわ」
「じゃあ、何だよ」
「お金。別のお金がまた入ってたのよ」
「ほう。そりゃまた、どこから」
「本堂……」祥子の目が、光った。「本堂の名義で、10万円振り込まれていたの」
 濃くて、酸っぱくて、甘くて、苦い……たしかにほんとにうまいマンデリンが、胃の中でグルリと渦巻いた。
「それは、受け取っていい金なのかね」
「受け取る? 違うじゃない。受け取ったんじゃないのよ」
「どういうこと?」
「そのお金は、《振り込まれて》いたの」
「何の意味なんだろうな」
「さあね。でも、あいつらしいわ」
「どういうこと?」
「お金は、たくさんあるのよ、彼は」
「そうじゃなくってさ」
「きっと……」と、祥子はカップを持ち上げ、それが空なのに気づき、下に置いた。「本堂の、いつも言う、《ダンディー》なのよ」
 俺はあの、丸坊主の、ランバージャックみたいな大男のことを思い浮かべた。
 やつが、銀行のATMの前に立ち、手許の小さなメモかなんかを見ながら、太い指でボタンを操作し、大野祥子の口座に10万円を振込み、出てきたレシートを、くしゃっと丸めてくずかごに棄てるところまでが、目に浮かんだ。

 しかし、若すぎた俺は、その時の、本堂正一の気持ちまでは、理解できなかった。
 俺のようなやつは、死ぬまで、そんなもんかもしれない。 
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2007年02月09日

【第035章】

 高田馬場で別れるまでに、翌日の約束を決めそびれた。
 酔っていたので忘れたのかもしれない。
 山手線への階段を上る途中で気づいたが、すでにどうすることもできなかった。

 寮の部屋に戻ると、蛸山がいなかった。
 もちろんそれまでにも、そんなことはよくあった。
 それでもたいてい、部屋にはうっすらと人のいた気配があって、そんなとき蛸山は、寮生の誰かの部屋で麻雀をやっていたり、近所に買い物に行っていることが多かった。
 しかしその日は、部屋は冷え切ったままで、ずいぶん長いこと蛸山が部屋を空けていたことがわかった。
 俺はなんとなく、あれこれを相談したいような気になっていただけに、調子が狂った。
 冷蔵庫にはビールは残っていなかった。
 本棚から取り上げたウイスキーの瓶は軽かった。
 蛸山がいつもきれいに洗って乾かしてあるグラスに注ぐと、指2本分ほどしかなかった。
 思いがけず手持ちぶさたな感じになった。

 《22時以降はかけてはいけない電話番号》
 俺の頭に刻まれている。そうさ! 当時は、20や30の電話番号は、ぜんぶそらで覚えていた。
 ポケットの小銭を調べ、ピンク電話を目当てに、娯楽室へ降りていった。
 数人の寮生たちが、プロ野球ニュースを観ながらにぎやかに談義している。
 外へ出た。
 門からすぐのところに、緑電話のボックスがある。
 テレホンカードを突っ込み、祥子にダイヤルした。
 何度鳴らしても、誰も出なかった。

 当時、23:59品川発が、大森へ戻るための最終電車だったと記憶している。
 0時半を回っても、蛸山は帰ってこなかった。
 他の寮生と地元で飲んでいるのでもない限り、今夜は戻ってこないということだ。
 じっさい、やつと飲みに行きそうな連中は、みんなそれぞれの部屋にいた。
 酒を借りようと思ったが、誰も持っていないようなので、午前2時までやっている酒屋に買い物に出かけた。
 いつもは開かずの踏切も、すぐに渡れた。
 
 安いウイスキーと氷を買ってきた。
 しばらく一人で飲んだ。
 いつのまにか眠ってしまった。

 目覚めると、昼だった。
 結局、いっしょに高円寺の物件を見て回るという祥子との約束は、果たされることはなかった。
 
 インターフォンで呼び出された。
 電話だ。
 階段を下りていく間、俺にはそれが蛸山からの電話だろうと直覚していた。
 こないだの俺と同様、何かやっかいな目に遭っているのかもしれない、と思った。
 しかし果たして、電話の主は、祥子だった。

「決めたわ」
「何を」
「住むところ」
「今日の約束、細かく決めるの忘れてたよな。悪かったよ」
「自分のことだから、自分で決めたの」
「で、場所は?」
「高円寺」
「そうか」
「ちょうど、前とは、駅を挟んで反対側なのよ」
「そうか」
「今日、学校は行くの?」
 質問の真意をはかれなかった。
「どっちでもいいと思っているところ」
「だったら、よかったら、見に来る?」
「見にって……もう引っ越したのか?」
「まさか。ただ、話がとんとんびょうしに進んで、もう鍵を持ってるのよ」
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2007年02月08日

【第034章】

 祥子と《ル・プティ・ニ》で会っていた。

 マネークリップとささやかな枚数の札とテレホンカード、そして免許証とマルイのカードも俺の手許に戻った。
 ランニングシャツといっしょに、ベッドの脇にあったそうだ。
 ランニングは、丸められ、レコードショップのプラスチックバッグの中に入れられて、これも俺の手許に戻った。
 洗濯などはされていなかった。もちろん、そんなことは期待していない。

「で、《おしおき》はどうだったんだ?」と、俺は一番気になっていたことを訊いた。
「ああ……別に、なかった」
「ふだんはどんな《おしおき》されるんだい?」
「いろいろよ」紅茶をかき回していたスプーンを、カップの底に突き立てる。「いろんなのがあるわ」
「たとえば?」
「ポピュラーなのは、《殴る》ことかな」
「殴る? 君をか?」
 そう言いながら俺は、《ポピュラー》って言葉の意味を考えていた。「ポピュラー」=「人気がある」と習ったが。
「殴られるのって、そう嫌いじゃないし」
「よく殴られるのか?」
「よく、でもないけどね」
「あとは?」
「あと?……そうね……つねったり。水風呂に漬けさせられるとか」祥子はあの屈折した笑みを浮かべる。「でも、こないだは何もなかったわ」
「それは何を表してるんだ?」
「もう出ていってくれ、って」
「出て行け?」
「そう。あそこはもともと本堂の借りてる家だしね」
「それで、君は?」
「出ていくしかないんじゃない?」
「いつ?」
「なるべく早く」

 俺たちは、急に思いついた旅行のために代理店を巡るのと同じような調子で、いくつかの不動産屋の軒をくぐった。
 どの店でも、言葉や表現こそは違うものの、いつも最初に、俺たちがそこで同棲するつもりなのかどうかを尋ねられた。
 それというのも、俺が主体的に不動産屋と交渉するからだ、ということがやがて判った。
 なので途中からは俺はむしろ、イライラさせられている男友達の役を演じることにした。
 しかし、当事者の祥子はまるでやる気がない様子で、どんな予算でどんな部屋に住みたいのかもはっきり要領を得ない。
 俺はじっさいにイライラし始めたが、ムリもないことだと思った。
 なにしろ彼女は、今もってまだ、公団住宅で男と一緒に棲んでいるのだから。

「どこも、高い」何軒目かを出たとき、祥子は言った。「そもそも、早稲田になんて住みたくないし」
 俺が住んでいた大森の寮は、当時42,000円だった。まるで消費税がついているかのような金額だが、そうではない。そのころはまだそんなものはなかった。増して、5%なんかではなかった。
「今はいくらなんだ?」
「知らないわ。本堂が払ってるから」
 そうか。つまり彼女は、これまでまったく負担のなかった《家賃》を負わなくてはならなくなったわけだ。
「敷金とか礼金の蓄えはあるのかい?」
「どうだろう。ぎりぎりなんとかなるかもしれないけど」
「モデル仕事のギャラは?」
 訊きたくないことを訊いてみた。
「それがあったわね。近々はいると思う。金額は聞いてないわ」

 しばらく足の遠のいていた「ゆず」で、俺たちは向かい合っていた。
 ボブ・マーリーのお仲間、ピーター・トッシュの「Steppin' Razor」が鳴っていたのを覚えている。

 もしおまえが○○(聴き取れない)したいなら 俺を大切に扱えよ
 もしおまえが○○したいなら 俺を大切に扱えよな
 俺は《歩くカミソリ》
 俺の○○(聴き取れない)に気をつけな
 俺はアブナいぜ
 アブナいぜ


「どうしたのサ。二人、深刻そうにヨ」と、ターマス。
 無視した。
 明らかに、奴の機嫌が悪くなったのが判った。

「どこに住みたいの? まずは場所だよな」と俺は祥子に尋ねた。
「やっぱり……高円寺かな」
「だって、それじゃ、奴のテリトリーじゃんか」
「物価は安いし、なにより、慣れてるから」
「中野や阿佐ヶ谷という選択は?」
「っていうか、疲れたわ。あんまり考えたくない」
「今夜はどうする?」
「どうする、って?」
「帰るのか? 奴んとこに」
「それはそうでしょ」
「そうじゃない選択もある」
「どういう意味?」
「どっかに泊まるって意味さ」
「うちに帰りたい」

 そうか。まだあの家は、彼女にとっては《うち》なわけだ。
 と、俺はひとり、合点した。

 君を愛したい
 大事に扱うよ
 君を愛したい
 毎日 いつでも
 僕らは同じ空間を 分け合って
 神様が パンを与えてくれる
 これは愛なのかい 愛なのかい 愛なのかい
 この僕の 感じてる この感じは


 ボブ・マーリーが歌っている。

「じゃあ、明日、高円寺を探してみようよ」

 祥子はあいまいにうなずいた。
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