2007年02月12日

【第038章】

 ガスストーブと扇風機を両脇に抱えて部屋を出ようとしたが、これではとうてい高円寺までは行き着けないと気づいた。
 ビニール紐をかけまわし、うまい具合に取っ手を作って、持ちやすいようにした。
 季節的に、なんとも不釣り合いな荷物2つだ。

 高円寺のレンタルショップで驚いたのは、店主がリヤカーのレンタル料を請求しようとしたことだった。
 昨日あれだけの馬鹿げたやりとりのあとで、祥子が前金を現金で払ったのにもかかわらず、だ。
 領収証なんてものはもちろんないし、あっても俺が持っているわけはない。
 くだらない押し問答で時間を食った。
 今思っても、あの店主は、意図があってああいう因縁をつけていたとしか思えない。
 もともとなんの愛着もなかったが、俺は高円寺という街が嫌いになった。
 ひとの隙につけ込む、いやしいヒッピーどもの街だと思った。

 *少なくとも、その時は……だ。

 ともあれ、リヤカーに、ガスストーブと扇風機を載せて、俺は道路に出た。
 北から南へ線路を渡るのに、階段が使えないので、ずいぶん遠回りした記憶がある。 

 俺は自前で用意してきた軍手をはめていた。
 サビの浮いたリヤカーのハンドルを握っている感触は、今でもなんとなく思い出せるようだ。
 職業に貴賤なしとは言うけれど、俺はなんだか、うらぶれたクズ屋にでも落ちぶれたような気分になった。

 団地の前に、荷物が運び出されてひとかたまりになっているのが、遠くからも見えた。
 ドラッグストアーで調達したかと思われる、トイレットペーパーかなんかの大きな段ボール。不定形にゆがんだ布団袋のような包み。ひもでくくった雑誌のたぐい。
 俺はそのそばまで到着し、リヤカーのハンドルを置いて、大きく息をついた。
 両手に雑誌の束をぶらさげた祥子が、ちょうど降りてきた。
 彼女もまた軍手をはめていて、俺はなんだか笑い出しそうになったのを覚えている。

「あと少しよ。少しだけ」
「電化なものがちっともない引っ越しだね」
「そんなものは何もないわ」
「俺も上にあがろうか?」
 祥子はかぶりを振った。
「もう少しだから」
 言い残して、祥子は階段を上がっていった。

 俺は団地の入り口に集められていた荷物を、リヤカーに載せた。ひとごとながら、あるいはひとごとゆえに? 荷物はどれも、くだらないものばかりに思えた。

 祥子が、俺の手助けを断った理由が判った。
 荷物が載って後に傾いたリヤカーに腰かけ、タバコに火をつけようとした時のことだ。
 ランバージャックみたいなチェックのジャケットを着た男が、団地の入り口から出てきた。坊主頭には、これまたチェックのハンチングのような帽子が深くかぶさっていた。
 やつとの距離は、3メートル。その視界に、俺は、間違いなく入っていたはずだ。
 息を呑んだ。
 しかしやつは、俺に一瞥をくれることもなく、幅の広い肩をいからせて、早足で、駅の方へと向かって行った。
 その背中を目で追いながら、タバコに火をつけた。

 祥子は、これで最後という荷物を両手に、降りてきた。
 ゴミ用の黒いビニール袋(当時は透明なんかじゃなかった!)が2つ。何が入っているのかは判らなかった。
「これで終わり。行こうよ」と祥子は言い、俺はリヤカーのハンドルをまたいだ。そのとき「あっ」
「どうした?」
「大事なもの忘れるところだった」
 祥子は再びきびすを返して、階段を上っていった。
 なんだか俺には、その忘れ物が、判った。

 すぐに降りてきた祥子に、
「忘れ物をしてきた人が、手ぶら?」
「鍵を新聞受けに入れてきたのよ」
 
 思った通りだった。

 リヤカーというのは、とてもよく出来ている。
 うまいことバランスを取れば、荷物の重さは、そう感じない。
 ただ、おそらく俺が慣れていないせいだろう。小回りが利かない。
 俺はゆっくりと、祥子の家財道具を引っ張り、彼女はうしろから手を添えた。
 たいした距離ではなかった。
 はた目にどう映るかなんて、気にした記憶はない。

 狭い路地を苦労しながら曲がり、祥子の新居に到達した。
 その時点でもまだ、俺は駅からの道を把握していなかった。
 リヤカーを、ブロック塀の隙間から小庭に滑り込ませ、大きな掃き出し窓から荷物を運び込んだ。
 引っ越しは、たちまち終わった。
 
 俺は駅前のレンタルショップまでリヤカーを返しに行くことにしたが、道順がおぼつかなかった。
 どういうわけか祥子は、前掛けのポケットに小さなメモ帳とボールペンを持っていて、簡単な地図を描いてくれた。

 レンタルショップでは、またいやな思いをした。
 礼儀正しく引き戸を開けて挨拶をしたのだったが、例のヘアバンドヒッピーは、親指で斜めうしろを指さした。
 どうやら、店の脇の空き地に入れておけということらしい。
 ほとんど廃車同様のママチャリが乱雑に重なったその隙間に、リヤカーを放り込んだ。
 へんに力を入れてしまったせいで、手首をひねってしまい、それがまた、いまいましかった。
 いましがた俺たちの引っ越しを手伝ってくれたリヤカーを、思いっきり蹴飛ばしてやった。
 振り返ると、ヒッピーが、腕を組んで俺を睨んでいた。
「そういうのって、アリ?」と奴は言った。
「そういうのって、どういうのスカ?」とおれは答えた。
 「……スカ?」って、敬語らしきものがついているところが、22歳だな。
posted by TAKAGISM at 00:00| Comment(0) | ササイのことで思い出した
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