2007年02月23日

【第049章】

 さて、そんなあるとき、なんの素材だったか、あるポジが回ってきた。
 俺のスキャン指導役だった中野さんが、
「このポジひどいなあ。真っ赤っかだ……。ねえ安岡さん、これそっちで直せる?」と、ハイデルを振り返った。
 安岡さんは、席を立って見に来るでもなく、
「ああ、そっちで補正して!」と言った。
 中野さんは、ちょっとばかり口をへの字にしたが、思い直したように、俺に向かって言ったんだった。
「いままではなりゆきスキャンだったけどさ、ちょっと新しいこと教えるね。こういう真っ赤っかな原稿とかは、スキャンするときに補正が出来るんだよ」
「はぁ……」
 それから中野さんは、テーブルに向かって俺に椅子を勧め、紙に図を描きながら、 CMYK(インクの4要素)とRGB(モニタで見る光の3要素)の違いを、丁寧に説明してくれたのだった。
 俺は「やばいことになったなあ」と思った。
 もとより、4色のインクの理屈も、光の3要素なんてものも判っている。
 しかし俺には、そのポジが真っ赤っかという意味が実感できなかったのだ。

 そう。
 俺の友達ならすでに知ってくれている通り、俺には色覚異常があるからだ。
 それゆえ、これまで営業部の連中が、色校を手にやってきては、
「このアカ浮きは、工場じゃどうにもならないっつうんですよ」
「え〜、そんなはずないよ〜」
 などというやりとりをしているのを見ても、感覚としてぜんぜん判らなかった。

「中野さん……ちょっとすいません」と俺は言った。
「なに?」と、中野さんはやさしい。
「いくら説明きいても、オレ、駄目なんですよ」
「あ……ボクの説明、わからない?」
「そうじゃなくて。オレ……色弱なんです」
「え!?」
 中野さんは、椅子から飛び上がらんばかりに驚いた。
 まるで俺が「実はオレ、ゾンビなんですよ」と告白したかのように、さ。

 嘘みたいな話なんだが、中野さんは俺を置き去りにして、コンピューター室を飛び出して行った。
 俺は、机に向かったまま、中野さんの描いていた光の3要素の集合図を眺めていたさ。

 やがて内線電話が鳴った。
 出ると、O村社長だった。
「社長室に上がってきて」

 社長室をノックし、入った。
 泰成さんが、すでにソファに腰掛け、タバコをくゆらしていた。
「まあ座れ」とO村社長に言われて、座った。
 O村社長は、手許の書類にポンとハンコを押してから立ち上がり、デスクを回ってやってくると、俺の正面に腰掛けた。

「そういうことは、早く言ってくれよな」とO村社長は言った。
「すみませんでした」と俺は詫びた。
「製版部だぞ、なにしろ、さあ」とO村社長は言った。
 不覚だが、涙が浮かんで来た。
 止めようと思うのだが止まらない。
 泰成さんがハンカチを出してくれた。 

 悔しいんだかなんだかわからない。
 医師や薬剤師やパイロットをはじめとして、色覚に異常があると就けない仕事はある。
 これは大相撲の力士になるため、身長に基準があるのと同じことだと思っていた。
 製版部に配属されたときに自分に色覚異常があるのを思い出し、申告するのは俺の責任だったんだろうか?
 今も判らない。

 その後、O村社長と泰成さんの間で、何かやりとりがあったが、細かくは覚えていない。
 俺を元の職場に戻すということで意見の一致を見たのだろうと思う。
 覚えているのは、泰成さんに背中を抱かれるように社長室を後にしたことだけだ。

 久しぶりに《インターフェース》のスペースに戻った。
 デザイナーと智恵子が、俺から目をそむけるようにしたので「あれ?」と思った。

 俺がいつも使っていたパソコン前の椅子に、寺坂先生が、ちょこなんと座っていた。
 センセイ、俺を見てなんて言ったと思う?

「おう、戻ってきたか障害者。ひっひっひ」

 先刻の、よく判らない悲しみが、白い感情で上塗りされた。
 WHITE FURY……?
 白色の激怒? 
 
 白色だけは、色覚にどんな異常があっても、よく判るのさ。
posted by TAKAGISM at 00:00| Comment(0) | ササイのことで思い出した
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