2007年02月22日

【第048章】

 この章、判る人なら、膝を叩いて「もっともっと」と言うほど面白い部分があるかもしれないが、そうでない人には少々退屈になるかもしれない。
 というのも、印刷屋さんにおける、ちょっとばかり技術的な、しかも旧い話が多いからだ。

 けれど、これに続く次の章で、俺にとっては非常に重要な内容があることを、あらかじめ言っておきたいと思う。

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 異動があった。
 具体的に言えば、俺は《インターフェース》の時給制のアルバイトの身分から、《ひびき印刷》の契約社員という立場へ転属させられることになった。
 ただし学業があるので、基本的に勤務は朝9時から15時まで。《インターフェース》でのパソコン作業も、状況に応じては兼任するという、よく判らない沙汰だった。
 報酬に関しては、そう変わった記憶はない。
 
 俺は「製版部」というところに回された。
 つまり、印刷の原版を作る部署だ。
 原稿となるものを、特殊なカメラでCMYK(シアン・マゼンタ・イエロー・ブラックという、印刷インクの4原色)に分版し、そうして撮影されたフィルムを貼り合わせる。これが基本だ。
 製版部は大きく3つに分かれていた。
 前述の各色フィルムを緻密に貼り合わせ、場合によっては人物だけを切り抜いたり、オペークという塗料でフィルムのゴミを補正したり、数百分の1ミリの単位で各版の位置を整える、いわば職人芸の部署。
 そして、ネガやポジのフィルム原稿をスキャンし、それをコンピュータで加工する、いわばデジタルの部署だ。
 さらに、写植部がそれに加わった。
 今で言う《フォント》は、すべての文字が一枚のガラスに焼き付けられた貴重な原版であって、写植職人は暗室の中で、特殊な機械を使ってそれをフィルムに焼き付けた。文字の大きさはもちろん、平たくしたり縦長にしたり傾けたり間隔を詰めたり……それらの作業をいかに速く正確にこなすかが、職人の腕とされた。当時、写植職人はなんとなく風来坊のように思われ、腕を頼りに多くの印刷所を渡り歩くことが多かった。今は、特殊な場合を除き、ほとんど絶滅している職種ではないだろうか。

 俺が配属されたのはその2番目、デジタルの部門だった。
 社長O氏のおもわくでは、《コンピューターに詳しい》俺を、その部署で鍛えようとしていたのかもしれない。
 事実、その当時よく言われていたのは「電算写植」という言葉だった。

 今でも「誤植」という言葉は一般に使われる。いわゆる、文字の打ち間違いだ。
 ほとんどすべてのテキストがデジタルデータで入稿されるこんにち、誤植の責任はほぼ90パーセント筆者の責任だ。
 残りの10%はそれを見落とした編集者の責任となる(ま、この責任の比率には異論があろうが)。
 ところが当時、手書き原稿を「写植職人」が手書き原稿を猛烈な速さで打ち込む場合には、誤植の責任は主に「写植職人」の責任であった。
 ちなみに写植職人は、今われわれがキーボードを叩くように文字を打ち込むわけではない。
 大きなテーブルを想像してみてほしい。写植職人は、その上にまず指定の字体の原版を乗せる。
 原版には、すべての文字が、あらかじめ焼き付けられている。これは高価なものだったろう。
 原版の乗った台は、職人が操作するハンドルで、実に軽やかに縦横に動く。
 職人は、その原版のどこに何の文字があるかを熟知しているのだ。
 彼らはハンドルを素早く操作し、該当の文字を探し当てては、スイッチを押して露光し、文字はフィルムに光学的に焼き付けられる。
 今となっては少々信じがたい手順で、印刷物の文字は組まれていたのである。
 さて、当時とて、ワープロは普及し、フロッピーディスクも一般化しつつあった。
 著者によっては原稿を、いわゆるデジタルのデキストデータで納めたい場合もあったろう。
 しかしたいていの場合、印刷所はそれに対応していなかった。
 どうするか。
 「ワープロ派」の著者が書いた原稿は、一度プリントアウトされて後、写植職人の手に渡り、打ち直されるのが当たり前だった。
 とうぜんこんな非合理な話はない。
 せっかくのテキストデータが、そのまま印刷物にならないなどとは、今では信じられない話なのだが……。
 
 ところが、俺が仕事をしていたインターフェース社……言い換えると「欧文」の世界では、それはすでに当たり前のことになっていた。
 翻訳者が送ってきた生のテキストデータを、例のDTPソフト・Venturaに流し込み、自由自在にフォントを変える。
 もし誤植があれば、それは翻訳者のタイプミスである。
 O村社長は、さすがそこに着目したのだろう。

 とはいえ、これはO村社長の先見の明でもなんでもなく、大手出版社などでは常識になりつつある技術であり、設備であった。
 作家の原稿は原稿用紙に手書きされてくるものの、それを腕利きの「オペレーター」が、キーボードを使ってテキストデータにする。
 そうなってしまえばあとは、2段組にしようが、文庫版にしようが、自由自在というわけだ。
 長々と書いてきたが、これを「電算写植」、略して「デンサン」と言ったものである。

 さて、当時の《ひびき印刷》には、その電算写植機を納入しようとして、3社ほどの営業スタッフが、1日と空けず通ってきていた。
 どの会社も、こんにちでも誰もが知っている、大手商社である。
 「デンサン」は、当時、3千万円以上する大きな設備投資だった。
 O村社長にしても、クラウンをベンツに買い換えるのとは少々心構えが違ってくる。
 
 俺は幾人かの営業マンとともに、連日のようにあちこち引き回された。
 それは商社の会議室であり、すでに機械を導入した印刷所であり、見本市の会場であり、メーカーの事務所であり、フランス料理のレストランであり、料亭だった。
 各商社のディーラーたちは、言葉を尽くして、自社の商品をアピールした。
 ところが当時、国産のデンサンマシンは、ないに等しい状態だったんだな。
 どれもが、主にドイツの機械をカスタムして、日本語のフォントを載せたものだったと記憶している。
 印字サンプルをみると、それはそれは惨めなものだった。
 信じられないほど醜いフォントが、スカスカに打たれている。
 《デンサン》は、当時まだ隆盛だった写植へのアンチテーゼだったわけで、多くのデンサンマシンのメーカーは、美しい文字の開発まで手が回らなかったというわけだ。

「タカギよ、どうだ、これ?」と、O村社長が俺に訊く。
「申し分けないですが、特にひらがながひどいですね。これはどこのフォントですか?」
 写研やモリサワの美しい文字が、それらデンサン写植機に搭載されている時代ではなかった。
 リュウミンやヒラギノも、なかった。
 商社マンは、おそらく内心には、小僧への怒りをたぎらせながら、
「自社開発のものです……」と答えるしかなかった。

 そんなやりとりが連日のように繰り返されたが、営業マンたちも俺も、問われれば、答えは「NO」しかあり得なかった。
 けれど俺にとって、その日々は楽しかった。
 社長に随行し、一流商社から下にも置かぬもてなしを受け、うまいランチや、ごくたまにだが、美酒にもありつけたのだ。
 O村社長が俺のことをちゃんと紹介しなかったせいで、勝手に俺を二代目かなにかと勘違いした営業マンもいた。
 それに気づくと俺は慌てて否定し、相手はあからさまにがっかりしたもんだが、今思うとそれはそれで、そういう顔をしていりゃよかったと思うな。

 さて、そうした《随行》から戻ってくると、俺は「写植職人」たちに取り囲まれた。
「おい、今日のはどうだった?」
「ひどいもんでした」
「サンプル、持ってきてねえのか?」
「いや、もらえませんでした」
「ははは。そらそうだろうなあ」
「中国製の花火の注意書きみたいな字体と文字組みでしたよ」
「わはは」
 嬉しそうに笑うが、彼らもまた、《デンサン》が気になって仕方ないのだった。
「あんなもんはよう」と職人の一人が言う。「歯送りも長体もできねえんだろう?」
「ですね。ぜんぶモノスペース……等幅ですね。ぶら下がりもできない」
「ははは。ちゃんちゃらおかしいやな!」

 そんな日々だったが、いつもいつも商社の接待を受けるばかりで過ごしていたわけではない。
 製版部のデジタル室は、硝子張りのブースになっていて、そこに入るには靴を脱いでスリッパに履き替え、化学教室みたいな白衣を着用させられた。
 フィルムに付着するホコリを防ぐため、というのが第一の建前である。
 俺の仕事道具は、2つあった。

 ひとつは、写真の引き伸ばし機とそっくりの構造を持つ「倍率計測器」だ。正式な名称は忘れた。
 ここに、デザイナーが作った原寸大の原稿がある。人物写真のところには、コピーが貼られていればいいほうで、お団子みたいな輪郭が描かれている。
 さてまた、ポジ原稿がある。タレント事務所から借りてきた、重要な写真のこともあるし、どうでもいい《デュープ》のこともある。
 台に原稿をセットし、上下に移動するプレートにポジをセットして、上から光を当てる。
 デザインのコピー(あるいはお団子人物)と、タレントの写真の大きさが合うところまで、ダイヤルでプレートを移動する。
 大きさが一致したところで、目盛りを読み取る。
「120%」となっている。
 つまり、原稿のポジフィルムを、120%に拡大して読み取れば、版下にぴたりと合うわけだ。
 スキャン解像度は固定だった。
 今で言うなら、400〜600dpiくらいだったのかなあ。

 次の機械は、スキャナである。
 今でこそ「複合機」と称するプリンタにはフラットベッドスキャナは普通に付属している。
 しかし当時の俺が使わされていたのは「ドラムスキャナ」と言われる高価な精密機械だった。
 もっとも、ドラムスキャナじたいは、今も最先端の現場で活躍していると思う。
 こいつは、ツルツルピカピカのガラスの筒が横たわっている機械で、その上に、やはりツルツルピカピカのアクリル膜がかぶるようになっている。
 スキャンするべきフィルムを、ガラスの筒に慎重に載せ、上からアクリルの膜を被せて密着させる。
 テンキーを操作して、さきほど割り出した120%と数値を入力したらスイッチオン。
 ガラスの筒は高速で回転し、フィルムを読み取るためのレーザーヘッドが、左から右へとジワジワと動いて、ゆっくりとフィルムを読み取っていくのだ。
 目に浮かぶかな?
 
 その手の関係者に微笑んでもらうために、もうひとつマニアックな話を加えておこう。
 《ニュートンリング》……。
 すぐに通じれば、あなたはスキャナー・マン(ウーマン)か、あるいは物理学者だ(笑)。
 あれはどういう原理なのかなあ。いまだにわからないんだが、ひとつの喩えをしてみよう。
 今、キッチンからサランラップを取り出して、2枚を密着させてみたとする。やるならやってみて。
 よ〜くみるとその密着部には、水たまりや河川のような形をした、不定型な、虹色の渦が見えるはずだ。
 あるツルツル面とツルツル面が密着すると、光学的な屈折が起こるんだろう。これは、印刷にとっては邪魔なものである。
 それを避けるために、スキャンの際には2つの回避策がある。
 ひとつはジェル。もうひとつは粉だ。
 どういう基準でその両者を使い分けていたんだったか、俺には今、記憶がない。
 とにかく、原稿のフィルムの両面にエアボンベでプシューっとしてゴミを取った後、ジェルをヌリヌリするか、粉をごくわずかにパフパフする。
 ガラス筒・ジェル・フィルム・ジェル・アクリル膜……あるいは、
 ガラス筒・微粒子・フィルム。微粒子・アクリル膜……。このどっちかの層になることで、ツルツル面の密着が回避され、《ニュートンリング》は発生しないのである。
 ジェルの場合も粉の場合も、後始末が面倒だった。
 専用の洗浄剤でピカピカに磨き上げ、拭き上げた後、もとのケースに収めるのである。

 ま、そういう下働きを、毎日していたと思いねえ。
 
 俺がそのスペースのこっち側で、何枚ものネガやポジをスキャンしている時、ちょうど反対側には、畳を2枚並べたような機械があった。
 ハイデルベルグだかローランドマンだか言ったなあ。調べれば判るんだろうけど、なんだかゲルマンな名前のついた、でかいコンピューターさ。
 その前には、たった一人の「オペレーター」が座っていた。名を、安岡さんと言う。
 アマガエルのような色をした、巨大なマシーンに負けないくらいの巨漢だった。
 安岡さんは、やはり俺たちと同じような白衣を着て、いつもその巨大コンピューターに向かっていた。
 あれは今おもうとどういう仕組みだったのか……。単なるハードディスクの共有だったのか。俺がスキャンした写真は、すぐさま彼の前の、巨大コンピュータで観ることができた。
 まれに、
「タカギ君、ちょっとゴミが多いよ、注意して」とか、
「斜めってるよ」とか、言われたのを覚えている。
 
 安岡さんは、俺より3歳ほど年長だったと思う。
 どこやらの専門学校を卒業した後、大手の印刷会社から引き抜かれて《ひびき》に入ったらしい。
 おおらかないい人だったが、その《ハイデル》(もう、ハイデルってことにしちゃおう)とやらの前には、他人を寄せ付けなかった。
 遠目に観察すると、そのハイデルは、3つのモニターを持っていた。
 一番左は、黒地に緑文字。今思うと、DOSというか、ファイル管理システムだな。
 真ん中は写真の出るメインモニタ。今にしてみれば、せいぜい14インチくらいの窓だった。
 右側はのは、パラメータが並んでごちゃごちゃした画面だった。文字はどうやら、ドイツ語!
 で、手前に広がった卓には、宇宙戦艦ヤマトかスタートレックに出てきそうな、ボタンが、密集している。
 そういうコンピュータがあったわけさ。

 写植職人たちの暗室の入口は、そのハイデルのすぐ脇にあった。
 今にして思うと、なぜか連中だけは白衣を着用せずに、出たり入ったりしていたなあ。
 ともかくも、その連中が、非常階段のタバコ場に集っては言うわけだ。
「ヤスオカの野郎、俺はいつか殴ってやる」
「あんにゃろ、こないだGT-Rを買っただか言って自慢しやがってヨ」
「そんなの十円パンチで、ジーッってしちゃえば?」
「なんせ、ネンボウで700マンももらってるらしいしな」
「それはありえねーだろ」
「え? あの赤いスカイライン、野郎のだったのか! うはー」
「あのシートじゃ、デブには狭くねえか?」
 まあ、クソミソだ。

「なあ、タカちゃんよう」と、俺に話がまわってくる。
「なんすか。十円パンチは、オレ、やですよ」
「そうじゃねえよ。おまいもコンピューターに詳しいんだろ? だったら野郎を追い出せよ」
「コンピュータつっても、オレが使ってるようなのとケタが違う機械だし。わかんないっスヨ」
「けど、おまいもいつも社長にくっついてデンサンとか見に行ってんだろがよ」
「それとこれとは違うっスヨ」

 確かに安岡さんのふるまいは、尊大に見えないこともなかった。
「オレはおまえらとは違うんだ」という態度があった。

 製版部のコンピューター室に、二人しかいなかったあるとき、俺は言ったんだった。
「安岡さん、ここから先に行っていいですか?」
 《ハイデル》のエリアには、黄色いビニールテープが貼られていたのだ。
「え? あ……ああ、いいよ」
 俺は椅子の車輪を転がして、安岡さんの隣に行った。
「それにしてもスゴいですね、これ」
「まあね」
 彼が買った機械でもあるまいに、と思ったんだが。
「ちょっとだけオレにも、触らしてくださいよ」
「ダメー。ぜったいダメー。これ、2千万円〜」
 にべもなかった。
 方向転換した。
「んじゃあ、何かやって見せてくださいよ。あっちからじゃ、遠くて見えないんだもん」
 
 安岡さんは、左のモニタからファイルを選び、真ん中のモニタに写真を出した。
 俺がスキャンしたもののひとつだ。
 そのころ《ひびき》がやっていた仕事のひとつ、ある住宅情報誌の仕事だった。

「ここに写真がある」
「はい」
「これはキミのせいじゃないけど、ネガに傷がある。ここ、空のところ。わかる?」
「あ、ほんとだ」
「今からこれを消してみせる」
 安岡さんは、マウスを手にした。
 そのマウスは、今考えると驚きなのだが、無線だった。
 1センチ角くらいのグリッドが刻まれたいわゆるマウスパッドエリアの上で、光学マウスが働いていたんだろう。
 安岡さんは、スタートレックのコンピューターのようなキーボードの中から、ひとつを選んで押した。
 膨大なキーにはそれぞれ、意味不明のアルファベットが狭っくるしく3文字、記されていた。
 今思うと「SEL」……セレクト、とか、そういう略語だろうさ。
 そして安岡さんは、十字になったポインタで、その写真のゴミの周りに輪を描いた。
 それからまた、スタートレックのコンピューターののようなキーボードの中から、ひとつを選んで、おごそかに押した。
 すると、ゴミは消えた。
「うわ。すごいっすねえ」と俺は言った。

「電線や、電信柱を消すこともできるよ」と安岡さんは言った。
「消すだけじゃなくて、描くこともできるんですか?」と俺は言った。
「雲なんかを描くこともできるよ」
「へ〜」
「もっとも雲は、描くより消すことの方が多いけどね」
「それにしても、すごいボタンの数ですね。全部覚えているんですか?」
「だって、それが俺の仕事だもん。これはボカシ。こっちはニジミ。これがモザイク」

 まあ、それが、俺の見た《ハイデル》だった。

 製版の部署に、O村社長はよく顔を出した。
 現場監督の意味はほとんどなく、たいていは顧客への会社案内だった。
 やはり、極みは《ハイデル》だ。
 安岡さんは、お客さんを前に、いつも決まって電線を消して見せていた。
 お客さんたちがそのマジックに「おぉ〜」と声を挙げるのを背中に聞きながら、俺はスキャナを回していたわけだ。
posted by TAKAGISM at 00:00| Comment(1) | ササイのことで思い出した